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夜天の使い魔34話

 初夏の陽気の中、ごとごとと音を立てて一台の馬車が街道を行く。飾りつけは簡素ながらしっかりとした作りのそれは、一目で貴族が乗っていると判るものだった。そしてその中に居るのは一人の少女。生あくびを噛み殺しながら太陽の光に身を委ね、夢現と言った心持で彼女は室内の角に寄りかかっていた。
「ああ……今年も大分暑くなりそう」
 ほんの僅かに汗が滲むこの気温位が丁度良い、出来ればずっとこのままが良いな、と暢気に思考を巡らせていたのは大国ガリアの王女、イザベラであった。
 しかし彼女を見知った者が今の姿を見ても果たして彼女だと気付くかどうか。何時も頭に乗せられた豪奢な冠は影形も無く、その召し物は華麗なドレスでは無くまるで騎士と見紛うような服装であった。周りに人目が無い所為だろうか表情も何時もの気が強そうで生意気なものではなくどこから気の抜けた様相を見せており、髪の色を変えていればまったくの別人として通りそうな程に雰囲気を変えていた。
 己の居城プチ・トロワから滅多に出ない彼女がこうして珍しく外出をするのは単なる気紛れや退屈凌ぎと言う理由では無い。

 ウルの月の終わりに発生した神聖アルビオン帝国のトリステイン侵攻作戦、俗に言うタルブ会戦が終了して約10日。イザベラの下に父王より「仕事」が回された。一目で判るような特徴的な書簡で伝えられるそれは彼女の扱う仕事の中でも特別なもの。ある特定の人物の為に用意された仕事であった。
「こんな時期に呼び出さなきゃならないなんて……」
 イザベラは大きく溜息をついた。この書簡は彼女の従姉妹、シャルロットに宛てられた任務のものだ。未だトリステイン国内は不安定な頃合だろう。トリステイン貴族の子女達が多く集う魔法学院なら尚更だ。そんな状況の中一方的に呼びつけて仕事を与えなければならないというのは実に心苦しかった。元々演技とは言え毎回無理難題を従姉妹に押し付けるだけでも辛いというのに、このような時分にそれをせねばならないというのは考えただけで頭が痛くなってくる。
 仕事の内容はラグドリアン湖が氾濫しているのでどうにかしてくるように、との事だった。ラグドリアン湖に水の精が住まうというのは有名な話だ。要するにそれを退治してこいと言うのだろう。強力な水の魔法を用い人の心を狂わせるような力を持つ水の精。そんな数千年生きた存在を打ち倒せというのは竜殺しにも匹敵する難題。何時もの事だが、実質的な死刑宣告に等しい内容である。
「とは言え、まさか無視する訳にも行かないだろうし」
 この件をどうやって扱おうか。どうにも上手い処理の仕方が思い浮かばず苛々とした思考が頭を刺激する。それが自分の中の怪物をも刺激するのか、段々と黒い衝動が首をもたげてくる。これは不味いと自分でも思うが、一度動き出した情動は流れ出でた水の如く止まる事は無い。周りの侍女達もイザベラの表情からそれを悟ったのだろう、やや緊張した面持ちを見せていた。何時感情の激発が起こるのか、部屋中の誰もが固唾を呑んで待ち受ける中――どういう巡り合わせなのだろうか、魔女から呼び出しがあった。
 イザベラは何かから逃げるように、部屋を出た。

 魔女プレシアからお声が掛かったのはあの初の邂逅より初めての事だった。彼女はイザベラに石を与えた後姿を眩ましてしまっていたからだ。今度は一体どういう用件だろうか、と思いながら我侭姫は魔女の下へ向かう。どうせろくな事ではないだろうと心の中で毒づきながら。

「貴方の下に仕事が回って来たでしょう? それを貴方にやって貰いたいのよ」
 部屋に入るなり開口一番それだった。
「あれは人形娘専用の仕事だよ。他の連中の誰にも、ましてわたしなんかがやるもんじゃない」
 イザベラは少し険を含んだ口調でそう反論する。ここに至るまでの時間で大分気分も晴れたが、それでも苛々としたものは未だ彼女の中に残り続けており、その残照が言葉となって口から出てきているようであった。
「それは聞いているわ」
 対するプレシアは何時もの如くしれっと答える。そんな事は百も承知、という態度は初めて会った時からなんら変わる事は無い。まったく自分を揺らがせぬその態度も魔女と呼ばれる由縁なのかもしれない、と漫然とイザベラは思った。
「とりあえず貴方には経験を積んで貰いたいの。それなりの脅威に立ち向かいそれを退けるだけの力をちゃんと持って貰わないと。その為に今回の仕事は貴方にやって貰いたい、そう考えているのだけれど」
 貴方のお父上に許可は取ってあるわ、と魔女は付け加える。
「あんまり外に出たくないんだけどねえ」
「そういう出不精な所も治して貰いたいわ。これからは北花壇騎士団の長として活躍する機会も増えるでしょうから」
「本当に人使いが荒いね、魔女ってのは」
 口では乗り気で無かったが、丁度良い口実が出来たとイザベラは心の中でほくそ笑んだ。あの小さな従姉妹に仕事を回さぬ堂々たる理由が出来たのなら乗らぬ手は無い。
 しかし問題なのは自分がその仕事を引き受けなければならない、という事だ。はっきり言って自信が無い。どう考えても超絶やべーと冷や汗が出てきそうな位無理だと自身では思う。シャルロットは元々の天賦の才に加え修羅場を多く潜り抜けてきた――これは従姉妹としての贔屓目かもしれないが――ガリアでも有数の実力を持つ騎士だ。彼女なら確実にこの仕事もこなすだろうと信じきれるが、対して自分はと言えば数年間プチ・トロワに引きこもっていただけの放蕩三昧な我侭姫。そんな自分を信じ切れる程イザベラは傲慢では無かった。
 だが無根拠に困難な仕事を与える程この魔女が愚かでは無いだろう。この前の時のように、やれるという確信があるからやらせようとしてるのだ。つまり何の事は無い、状況は前と変わりない。死にたく無かったら与えたものを使いこなして仕事をしてこい、とまあそういう事なのだろう。
「ちなみに聞いておくけど、拒否する権利はわたしにあるのかい?」
「無い、とは言わないけれど貴方は断らないでしょう?」
 どういう事?と疑問に思うイザベラに答えるよう魔女は言葉を続ける。
「そんな事を言うような無能を選んだ記憶は無いからよ」
「随分わたしを買ってくれてるようだけど」
「あら、私は最初から貴方を最大限に評価しているわ」
 まるで全幅の信頼を置いている、とでも言わんばかりに微笑む様には、たとえ裏があろうと悪い気はしない。まったく、上手く乗せてくれるな、とイザベラは苦笑した。ここまで言われて引き下がるのは流石に無様すぎる。
「判った、行けば良いんだろう行けば。それじゃさっさと出かけて帰ってくる事にするか」
 席を立とうとしたイザベラに、プレシアが「待ちなさい」と彼女を引きとめる。
「これを持っていきなさい」
 そう言って放って来たのは小さな指輪であった。それは青く水のように透き通っており、まるで水そのものが寄り集まって形作られているかのようだった。
「これは?」
「餌よ」
「餌?」
「湖に着いたらそれを使いなさい。お目当ての相手が食いついてくるはずよ」
 口ぶりからするとこれで水の精を呼び出す事が出来るようだ。水の精は滅多な事では人前に姿を現さないというから、それをおびき寄せる為になんらかの手は打っておいてくれた、という事のようだ。
「期待しているわ、イザベラ」


 そんな訳でひきこもりだったイザベラ姫様は久々の馬車旅と洒落込んでいる訳なのだった。最も馬車を操る御者以外には供の一人も居ない寂しい旅であり、とても楽しいとは言えないものだったが。
「でもまあ、一人っきりってのは良いねー」
 プチ・トロワの中でこうやって羽を――精神的な意味で――伸ばせるのは就寝前の僅かな時間だけだった。己の居城に居る限りほぼ四六時中誰かの目に晒される事になるからだ。部屋から完全に人払いをして閉じこもるという事も出来なくは無いが、そんな事をすれば何をしているのかと勘ぐられて魔法の類で盗聴されたりするのが落ちだ。それならば、と思いある程度の人数を部屋に入れているのが現状だ。王女という立場も表向き我侭に振舞えるように見えて中々に大変なのだ。
 今この馬車の中で揺られている自分は素のままの自分だ、と実感出来る。我侭な振りをする必要なんてまったく無い。そして誰かを傷つけてしまう事も無い。癇癪の方も久方振りの旅で目にする新鮮な光景になりを潜めているからまったく起きる気配も無かった。こんなに穏やかな気持ちで過ごせるのは一体何年ぶりだろう。これが癒される、ってもんかなと陽気に包まれながらイザベラはご満悦だった。

 ごとごとと進む馬車はまだ当分目的地には着かないだろう。ならとりあえずやる事の整理をしておこう、と現状を振り返る事にした。
 まず目的はラグドリアン湖の氾濫をどうにかする事。湖の水かさが増し始めたのは約2年前、徐々に湖はその体積を増し、今では近隣の村を飲み込む程になってしまった。このような事、人為的には不可能であり、まず間違い無く湖に住まう精霊の仕業だろうと推測できた。本来ならば水の精霊と契約を交わした一族等が彼らと交渉してどうにかするのが筋なのだが、今の政争に明け暮れるガリアではどうにも難しい。対岸に位置するトリステインの貴族も良くもまあこの状況を放っておくものだ。あちらはあちらで村の一つ二つの被害では動く気は無いらしい。お互いに碌なもんじゃない、と嘆息してしまう。
 次に方法。交渉してなんとかするのが一番なのだが、それはそう簡単な事では無い。先に述べたように水の精との交渉は彼らと交渉する専門の家系がある程面倒なものであり、こうやっていきなり出向いた小娘風情に出来る事とは思えない。そうなると力ずくでもなんとかしなくてはならないのだが、むしろ力ずくでなんとかしてこいというのがこの仕事を回した父王や魔女のの目論見なのだろう。
 曰くラグドリアン湖に住まう水の精は始祖がこの地に降り立つより旧くから変わらずそこに居るという。少なく見積もって6000年以上生きているような存在という事だ。勿論、その力も積み重ねた年月に負けぬ程のものを持っている。それを捻じ伏せなければならない事を考えると気が滅入る。

 イザベラは胸元に鎮座する輝石を弄ぶ。彼女がこの石から与えられた魔法は三つ。無詠唱で空を飛ぶ飛行の魔法、あらゆるものを止める盾の魔法、全てを穿つ光弾の魔法。どれも強力と言えるものだが、それで水の精に抗う事が出来るかというと疑問符をつけざるを得ない。飛行の魔法はフライの魔法とそう変わるものでは無いし、盾は強靭だが無敵では無い。光弾も大した威力ではあるが火のトライアングルが放つ火球を大きく凌ぐ程では無い。
 こんなものが始祖をも超える力と言えるのだろうか。いや、まったく言えないだろう。今の自分は戦闘力に限って言えば上手く立ち回ってトライアングル級、その他の汎用性に於いてはドットにも等しい。多少の芸は身につけたがそれだけだ。このまま水の精と争う事になったとしたら万に一つの勝ち目も無いだろう。
 石はあの日から沈黙を守り続けていた。何一つ言葉を発さず、ただ彼女の動向を見守るように静かに佇んでいた。イザベラ自身もそんな彼にどう言葉をかけるべきなのか判らぬままに、何時の間にか時間が過ぎていって現在に至る。
 おそらく、この石の真価はこんなものでは無いのだろう。あの魔女――明らかに異常な技術を持つ存在――が自信を持ってそう断言するのだから、少なくとも既存のメイジを凌ぐだけの能力は備えているはずだ。しかしそれを発揮する為の全てはこの石自身の意思が握っている。彼がイザベラに力を貸そうとしなければ、イザベラ自身が幾ら望もうとどうする事も出来ない。この輝石の協力を首尾良く受ける事も今回の仕事では重要な点となるだろう。

「結局のところ、どうにかするしか無いんだよねえ」
 前もって段取りを作るには、余りにも不確定な要素が有り過ぎた。相手にするだろう水の精に対しても、また自分自身に対しても。全ての状況が出たとこ勝負、その場の機転で切り抜けていく事になるだろう。わたしみたいな箱入り娘には荷が重いね、と愚痴りながら、一先ず暖かな空気に身を委ねてこの旅を楽しむ事にした。
 目的の場所までは、まだ遠い。


 イザベラが目的地のラグドリアン湖近辺に着いたのは出発より丸一日近く馬車に揺られた後の昼頃であった。窓から対岸を見渡せば遥か地平の彼方にまで視線が届き、初めて目にした光景に彼女はただ驚かされるばかりだった。湖面は強く輝く太陽の光に照らされ美しい青を纏いながらきらきらと輝いている。流石ハルケギニア中に聞こえた誓約の湖、人を惹き付ける魅力がある、と思わずにはいられなかった。
 しかし湖岸にうっすらと浮かぶ影が、この湖が単に美しさだけを人に与えているのではないと実感させた。水面より僅か下に居並ぶのは紛れも無く嘗て村だったものの成れの果て。増した湖の水に飲み込まれ、今ではその一部と成り果ててしまったのだ。
 ふむ、とイザベラは唸る。こうして目の当たりにすると近隣住人への被害は深刻なものだ。この湖の大きさから言って飲み込まれた村は一つや二つではないだろう。それでも何の対策も取られなかったのは、一重に国としてはさしたる被害では無いと判断されたからだろう。もう暫く時間が経ち、さらに被害が拡大すればその限りでは無いのだろうが、このような国境の村の一つ二つが消えた所でガリアという国としてはなんの痛みにもならない。それなのにこうして対策に乗り出したのは、水の精という強大な存在がシャルロットという少女への当て馬として最適だと父王ジョゼフが判断したからだ。そうでなければあと何個もの村が飲み込まれるまでこの件は放置されていたに違いない。イザベラは複雑な表情を浮かべながら、美しく輝く湖面を見つめ続けていた。

 馬車から降り立ったイザベラは貴族の証たるマントを着けると、ばさり、とそれを翻した。普段宮殿に閉じこもりっきりな彼女にとってマントは余り馴染みの無い装束だ。己の居城に居る限り、別にこんなものを着けなくても誰もが彼女を王女だと認識できるからだ。ドレスの上からマントを羽織ると動き辛い事もあり、基本的にイザベラはマントを着用しない事にしているのだった。しかしこうして外で出歩くのなら話は別で、貴族という事を示すにはこうしてマントをきっちり着用せねばならない。肩と背中にかかる微妙な重さに違和感を感じながらも、様になっているだろうか?と己の姿を確認してみる。
「自分で言うのも何だけど、似合ってないねえ」
 精一杯騎士らしい格好をしてきたつもりだが、どうにも服に着せられている感が拭えない。あとは立ち振舞いで誤魔化すしか無いだろう。
「どうにかぼろが出なきゃ良いんだけど」
 心から不安は消えない。しかしここまで来た以上、覚悟を決めてかかるしかない、と決心し、イザベラは一歩を踏み出した。
「まずは、情報を集め、かな」

 馬車を降り最初に向かったのは、湖近郊の――本来ならそうではなかったはずの――村だ。馬車で直接乗り付けなかったのは多少動いて服に馴れておきたかったのと、御者は彼女の正体を知っているので念の為に村人とは接触させないようにする為だ。王女直々に出張ってきたと知られるのは余り好ましい事態では無い。
 村は湖岸から1リーグと離れていない場所にあった。ざっと見たところ人口は100人にも満たない小さな村のようで、立ち並ぶ家屋の合間に疎らな人影が見て取れる。
 さあ、まずは派遣されてきた騎士らしく村長にお目通り願おうかな、なんて考えていたら――彼女が動くまでもなく、あちらから出向いてきた。のどかでのんびりとした雰囲気の中、たった一人全力疾走でこちらに向かってくる壮年の男は彼女の目の前にやってくると、苦しそうに肩で息をしながらもにこやかな様子で話しかけてきた。
「はあ……はあ……あのう……もしかして、王都よりいらした騎士様で御座いますか?」
「あ、ああ……花壇騎士団イザベラ、王の勅命によりラグドリアン湖の異変を調査しに来た」
 男の様子にやや驚かされながらも、威厳を保ちつつイザベラは自己紹介をする。敢えて偽名を使わなかったのは、イザベラという名前が王女のものであると市井には殆ど知られていないので大丈夫だろうという判断からだ。
 男は彼女の言を聞くと、元々笑顔だった表情をさらに明るくして嬉しそうに「お待ちしておりました!」と答える。
「何度も領主様に嘆願しておりましたが、さっぱり音沙汰が無いので村人全員が心配していた所です。いやあ、こうして騎士様が来てくだすったという事は何の心配もいりませんな! 長旅でお疲れでしょう、ささ、私の家にてどうぞ疲れを癒して下さい。ああ、申し遅れましたが私が村長で御座います」
 やたらに声が大きくて明るい人だ、とイザベラは思った。少々うるさく感じなくもないが、湿った態度で出迎えられるよりはよっぽど良い。
「ではお言葉に甘えさせていただこう。他に幾つかお話を窺いたいのだが宜しいか?」
「勿論ですとも」
 出だしは上々。このまますんなり行けば良いが。まあ、まずは茶の一杯でもご馳走になってから考えよう。村長の言う通り、馴れぬ馬車旅で少々疲れているというのが彼女の本音だった。

 村長の家は村の長のものらしく、他の家屋よりも少々立派な作りをしており――と言っても多少頑丈そう、という程度だが――一目でそれと判った。中に案内され、促されるまま椅子につき、振舞われた茶を一口啜った所でやっと一心地。疲れた体と舌には、大変に美味な一口だった。
「丁度喉が渇いてた所なんだ、生き返るよ」
「どうやらお口に合いましたようで」
 村長もイザベラの向かいに座り、カップを口に運ぶ。
「これはとっておきの葉でございまして、こういった来客の時位しか私も口に出来ませんで。ん、こりゃ美味い」
 ははは、と朗らかに笑う声を肴にしながら、暫し二人は茶を味わった。お互いが一杯目を空にし、二杯目に差し掛かった頃、村長が再び口を開く。
「さて、何からお話すれば宜しいでしょうか」
「そうだな……」
 イザベラは僅かに逡巡し、
「まずは何時頃から、どのように異変が起きていったのか、それを間近で見ていたであろう村長の口から聞いておきたい」
と答えた。凡その事位は知っているが、より詳しい話を聞けば何か新しい情報が得られるかもしれない。
「そうですなあ……湖に変化が現れたのは2年前の降臨祭の直ぐ後でしたかな、その頃は気のせいだと誰もが思っていたのですが」
「気のせいで済む程小さな変化だったと?」
「それもありますが、最初に騒ぎ始めたのは子供たちだったんですよ。湖が大きくなってきてるみたい、なんて言い始めて、最初は子供たちの悪ふざけかと思ってたんですが、三月もすれば目に見えて水かさが増えてきてるのが判りまして……でもまさか、村を飲み込む程とはやはり思いませんでした」
「しかしラグドリアン湖は古来から水かさが変化しない事で有名だったはず。それが変わったとなると、大騒ぎだったんじゃない?」
「ええ、その通りです」
 深く肯き村長はイザベラの言を肯定した。
「これは湖に住む水の精が悪さを始めたに違いない、と大騒ぎになりまして。湖の周りの村は皆揃って嘆願書をお上に出したのが1年前。丁度湖に一番近かった村が水没し始めた頃の事です」
 その時、常に明るい表情を崩さなかった村長の顔が、初めて翳りを見せた。
「あれから何度も私達はお上に訴えました。日に日に増す湖を眺め、一つ、また一つ沈む村の姿をみつめながら。……水の増える速度は段々早くなってきております、この村もあと数ヶ月もすれば飲み込まれるでしょう。村の者は皆、暖かい内に他の所へ移ろうと考えていた所でした。でも、間に合った」
 がっしりとイザベラの手を掴み、感動と尊敬を籠めた眼差しで男は彼女を見つめる。一辺の曇りも無い信頼がそこにはあった。
「こうして、騎士様が来て下さった。これでこの村も……いや、この湖の周りの村全てが救われる。水の精霊をどうにかするなんて貴族様にしか出来ない事、だからこうして来てくださるのをずっとずっとお待ちしておりました」


「なんか色々と厄介な雲行きになって来た気がするよ」
 幾つか話を聞いて村長宅を後にし、ふらふらと歩いていたイザベラは溜息をついた。まさかこんなにまで期待されてるとは想定外にも程がある。出だしは上々かと思っていたらいきなり罠にかかった気分だ。
 今の彼らにしてみれば自分が唯一の希望なのだろう。日に日に迫る水の恐怖の中、やっと現れた騎士。期待するなと言う方が無理がある。その心中も良く理解出来るだけに、それが重い。
「やっぱりシャルロットに来て貰えば良かったかな」
 こんな風に期待を受ける、というのは思えば生まれて初めての事かもしれない。魔法の出来ぬ王女と、どちらかと言えば蔑まれ期待という言葉から縁遠い人生だった。だからなのだろう、こうやっていざ期待を背負わされると戸惑いを隠せない。
「重いよ、まったく」
 思考を振り払うように、彼女は勢い良く歩く。目指す先はラグドリアン湖。情報を得た後は実地検分、と言う訳だ。約1リーグ程しか離れていない事もあって、勢い良く進める歩では直ぐにそこに辿り着いてしまった。
 間近で見る湖の姿は、馬車の窓越しに見るものとそう変わりは無かった。相も変わらず美しく照り輝く姿は壮観の一言。実害を受けている訳では無いイザベラにとってはそうとしか見えないが、近隣の村人達にとってはこの美しさもきっと違った様として写っているのだろう。
 辺に足を運び、そっと水に手をやる。心地良い冷たさが指や掌から伝わってくる。水の質は特に変わりは無いようだ。技量のあるメイジなら色々とやれる事もあるのだろうが、今の彼女にはこういった単純な調べ方しか出来ない。
 ――出来れば手助けして欲しいんだけどね。
 胸元で沈黙を保つ同行者にそう言った感情を抱くものの、本当に頼ろうとは思わない。多少なりとも一緒に過ごしてきたから判る、この程度の事で手を貸してくれるような事は無いだろうと。とりあえず、自分の出来る事は精一杯やってみせるしかない、とイザベラは思った。この石は、どうも自分を推し量っている節がある。ならば、せいぜい良い所を見せておかないと。
 次に水の中へと視線を移す。馬車からは翳としか写らなかった沈んだ村の様子がはっきりと見て取れる。ラグドリアン湖のある場所は窪地になっており、その周辺の村が水にすっぽりと埋まり新たな湖の一部となってしまったのだろう。それはまるで水中に住まうものの村のように見えた。
「あの村がすっぽり水没する事はないだろうけど」
 もし湖の水が到達したら、人が住めなくなる事には違いない。
「当人達にとっては切実な問題だろうね」
 一体幾つの村が飲み込まれ、そして幾つの村がその脅威に怯えているのだろうか。もしかしたらそういった人々からも期待を持たれているのかもしれない、と思うとさらに気が重くなる。初めてのお使いにしちゃ、難易度高すぎないかい?

 大体予測はついていたが、大した魔法も使えない身では満足な検分は行えなかった。あとはもう完全に出たとこ勝負しか無いだろう。魔女に渡された指輪を使えば水の精は食いついてくるという事だが、いきなり襲われたりしないだろうな、などと不安に思いながら辺りを見回していると、離れた場所――約100メイル位だろうか――に人影があるのをイザベラは見つけた。影の大きさからするとどうも子供らしい。何をするでもなく、その子供はじっと湖面を見詰め続け微動だにしない。こんな所でたった一人、何をしているのだろう、と興味を引かれた彼女は子供の下へと歩みよって行く。
 近付くにつれて、子供の姿をはっきりと捉える事が出来るようになった。年の頃はおそらくイザベラの半分程だろう、短く切りそろえた髪から一見少年のようにも見えるが、その服装がその人物は少女であると物語っていた。彼女は物言わず座り込みじっと湖面を見つめ続けている。徐々に近付いて来イザベラの足音も気配もまるで感じていないように、必死ともとれる様相でただその行為を続けていた。
 声をかけて良いものか、イザベラは迷う。頑なな雰囲気は、何処と無く何者をも拒絶するような雰囲気だったからだ。僅かばかりに逡巡した後、意を決すると彼女は少女の目線に合わせてしゃがみ込み、声をかけた。
「何をやっているの?」
 なるべく優しい声色を使ったつもりだが、馴れない事をした所為か逆に硬い声になってしまった気がする。ちょっと失敗したか、というイザベラの様子はとは裏腹に、少女は特に気にした風も見せず、耽々とした声で答えた。
「お家を見てるの」
「お家?」
「あそこにあるのが、わたしのお家」
 そう言って少女は湖面を指差す。その先、数十メイル離れた水中でゆらゆらと蠢く黒い影は飲み込まれた村の家屋のものだった。あれが少女の家だとするなら、彼女は飲み込まれてしまった村の住人だったと言う事か。
 一言答えた少女は義理は果たした、と言わんばかりに再びじっと湖面を――家を見つめ続ける事に没頭していった。再び二人の間を沈黙が支配する。
 子供と話をする時はどういう話題を振れば良いんだろうね?と悩む内、ただ時間だけが過ぎていった。時の流れと供に、徐々にゆらゆらと揺れる湖面が青から赤へと姿を変えてゆく。もう日の落ちる頃合なのだろう。
 そろそろ村へ戻ろうか、とイザベラは立ち上がる。湖岸を離れようと踵を返した彼女だったが、少女の事が気にかかり歩みを止めた。この様子だと放っておけば夜までどころか明日の朝までずっとこのままで居るように見える。流石にそれを放置しておくのは不味いんじゃないだろうか。大分空気は暖かくなってきた季節だが、それでも夜風は体に障る冷たさだ。またこの辺りに世闇を徘徊する動物が居ないとも限らない。
「さあ、もう帰ろう?」
 促すように差し出された手を、少女は素直に掴んだ。そのまま小さな手を引いてイザベラは帰路につく。
 手に伝わる温もりがなんだか懐かしい。子供の時は良くこうやって手を繋いでいた。イザベラは何時も手を引かれる方。元気の良い従姉妹に連れられて、広い宮殿を走り回ったものだ。そんな自分が今こうして手を引いている。こみ上げる懐かしさが、少し悲しかった。
「ねえ、おねえちゃん」
 唐突に声をかけられ、浸っていた郷愁から意識を連れ戻される。終始無言だった少女からのいきなりの問いかけ。
「どうしてお家は、沈んじゃったのかな?」
 少女の声色が、初めて感情の色を乗せたようにイザベラには聞こえた。
 水の精霊の所為だ、と答えれば良かったのかもしれない。しかしイザベラには答えを口に出す事が出来なかった。多分少女が求めている答えはそういう類のものでは無いと、そう思えたからだ。多分、どうして、という問いかけは原因を知りたいという事では無い。それはもっと根源的な問いかけ、だからこその「どうして」という言葉。それが判ってしまったが為に――彼女は沈黙するしか無かった。

 村に辿り着いた後、少女は小さく頭を下げると小走りで駆けて行った。おそらく家に帰るのだろう。ここまで来ればもう心配は要らない。少女の後姿を見送った後、イザベラは村長の家に戻った。
「おお騎士様、お帰りなさいませ。調査の方は捗っておりますか?」
「まあまあ、と言ったところかな」
 相変わらず村長は笑みを絶やさずに出迎えてくれた。普段宮殿にこもっているとこのような人物に見える事は無いので、イザベラにとっては新鮮だった。宮廷貴族達は媚びた笑みと裏に隠した悪意で自分に接してくる。そういう裏の無いまっすぐな態度は、新鮮なだけでなくどこか安心できるものがあった。
「そうだ村長、聞きたい事があるんだが」
「なんで御座いましょう?」
「先程湖で小さな女の子に会ったんだけど……」
 その言葉だけでなんの事か察したのだろう、村長は「ああ、あの子の事ですか」と合点がいったように肯くと、イザベラの意を汲んでそのまま言葉を続けた。
「あの子はつい先日……と申しましてももう2ヶ月は経ちますが、水に飲み込まれた村の子供なんです。名前はマリーと言うんですが、ああやって毎日湖に行ってはずっと沈んだ村を見つめ続けていまして、何時も誰かが迎えに行くまであのままなんですよ。今日は騎士様が連れてきて下さって本当に助かりました、ありがとうございます」
「どうしてそこまでして沈んだ自分の家に拘り続ける? あの子にとって余程の心残りでもあるのか?」
「あの子は両親を無くしております。父親を2年前に事故で死に、母親は体が弱かったのが災いしたのでしょう、こちらの村に移り住む際その疲れが祟ってか病にかかり、亡くなったのはつい一月程前。そんなあの子にとって大好きだった両親との思い出が残る場所は、沈んでしまった家だけなのでしょう」
「そうか……不憫な話だな」
 あの年頃の子供が両親を失うというのは、世界の大半を失うに等しい衝撃だろう。それがどれ程の傷跡を残すか。まして両親と暮らしてきた思い出の住処まで奪われたとあっては、全てを失ったと言っても過言では無い。
「本当に可哀想な子です。私らだってこの村が水に飲み込まれてしまったら、と思うとそれだけで辛い。ここは生まれ育った自分の故郷だ、それが無くなってしまうなんて考えたくも無い。それに加えあの子は母親まで失って……」
 はあ、と村長は溜息をつく。
「それでもこの年まで生きた私とかなら、仕方が無かったと割り切る事も出来るでしょう。どうしようもない事なんて世の中には沢山ある、生きてるならそういう事もあるんだって判ってますから。でもあの子はまだ幼すぎる。何かを諦めきれる程生きちゃいないんです。今のあの子の目には、世の中が理不尽の塊に見えているんじゃないか、そう思えるんですよ」
 村長の言葉に、どうして、という少女の問いかけが脳裏に蘇った。きっとあの子は問いかけ続けているのだろう。誰も答えてくれない問いを、世界に投げかけ続け生きている。
 あのマリーという少女だけでは無い。大なり小なり、村を追われた人々皆がそれを味わっている。
「理不尽、だな……」
 その事に想いを馳せた時、何故か胸の奥が蠢く気がした。


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19 : 38 : 13 | 夜天の使い魔 第二部 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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コメント
連続更新お疲れさまです。
……相変わらず、凄まじい執筆速度ですね。波があると仰いますけど、自分が一ヶ月こつこつ書いた分より遙かに多いですって。小分けしましょうよ小分け(笑

後一話分のイザベラ視点で、プレシアの出番はあるのでしょうか。そして、向こうとの接点が生きている可能性は?
気になる引きになりそうですね。

それでは、次の更新を楽しみにしております。
by: 枯穂 * 2008/04/18 23:54 * URL [ 編集] | page top↑
更新速いですな。嬉しい限りです
夜天氏、30kbは十分長いですってw
まぁ長いのが好きな自分としてはむしろ望むところですが

今回の話から察するに、次回はイザベラが更なる魔法に目覚めるのでしょうか?確かに飛行・射撃・シールドだけではまだまだメイジの範疇を出ませんしね
次回いかなる行動でイザベラが水の精と渡り合うか、楽しみにしています
by: 蒼月 * 2008/04/19 12:57 * URL [ 編集] | page top↑

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