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夜天の使い魔22話

「シエスタ、クローゼットに制服が入ってるから取って頂戴」
 朝日の中背筋を伸ばして立っている姿は、まるで今までのルイズとは別人のようだ、とシエスタは感じた。シエスタがこれまで見てきたのは弱弱しく力ない雰囲気を漂わせただベッドに座っていた小さな少女の姿だった。それが今はどうだろう、やや痩せこけた面持ちこそあるものの、全身を生気が被い小柄でありながら力強さを感じさせるこの姿、とても同一人物とは思えない。でも、これがルイズの本当の姿なのだと彼女は思う。今のこの雰囲気が、実にこの少女には相応しいと、何故か自然に感じられたのだ。
 
 ルイズは手渡された制服をてきぱきと身につけ、マントを羽織る。実に11日振りのルイズの復活であった。
「今日は久しぶりに食堂で食事を取るわ。さあ、一緒に行きましょうか」
 久々の登校に気合を入れた様子で意気揚々と歩き出したルイズであったが――。
「あら?」
 ふらり、と体が左右に揺れる。何故か思うように足に力が入らない。それに体もやけに重いような気がする。別に調子が悪いとかそういう訳では無いはずなのに、どうしてなのだろう? ルイズは己の体の変調に首を傾げた。
「変ね、特に病み上がりという訳でも無いのに」
「あの、ルイズ様」
 ルイズが不可思議に首を捻る様子を見て、シエスタがおずおずと言葉を切り出す。
「ご病気でなかったとしても、随分長い間動かずにいたようですから、体が弱っているのではないでしょうか」
 たとえ怪我や病気では無くても、ベッドの上で寝込む時間が長ければ体が弱るという事をシエスタは経験的に知っていた。要するに「体が鈍る」と言う奴だ。彼女の父も「体は常日頃から動かしていないとすぐに鈍るから、あまり怠けてばかりいるんじゃないぞ」と良く言っていた。故に今のルイズの状態もそのように鈍っているのではないか、とシエスタは考えたのだ。なにせ十日以上ベッドの上でずっと動かずに居たのだ、これなら寝たきりでいるのと変わりないか、もっと悪い。
「まずは何日か様子を見て、体の調子を取り戻すのに専念されてはどうでしょうか?」

 シエスタの提言にルイズはむむむ、と唸り思考する。確かにずっと考え事ばかりしている毎日だった。これでは病気でなくても体の調子が悪くなるかもしれない。実際手に感じられる教科書の感触はやけに重く、まるで重量が倍化したかのような感覚を彼女に伝えていた。足の方だって――女としては余り考えたくも無い例えだが――いきなり太ってしまったかのように大きな負荷を感じている。それに心なしか少々ふらつきもする。確かに少し体の調子はおかしいかもしれない。この様子では授業に出てもその内容をきちんと頭に入れる事は難しいだろう。
「そうね……それが良いかもしれないわ。ごめんなさい、やっぱりここで食事を取るから用意をお願いできるかしら? 食べ終わったら軽く体を動かしましょ。シエスタ、付き合って貰えるかしら」
「勿論です! では早速お食事の用意をして参りますので少々お待ち下さい」

 ばたばたと廊下を駆けて行くシエスタの足音を聞きながら、中々思うようにはいかないものだ、とルイズは心の中で苦笑する。心の方が調子を取り戻したと思ったら今度は体の方がへたっていたとは。まったく、手間の掛かる子よね私って、と思わずにはいられない。
 化粧台に写る自分の姿は、長い髪は手入れを怠っていた為にぼさぼさになってしまっていたし、頬はこけていて如何にも不健康そうな印象を放っていた。ただ目だけがいつもと変わらぬ光を放っていて、それがまた全体にアンバランスな印象を持たせて余計に彼女の雰囲気を怪しいものとしていた。
「よくもまあ、こんな姿で人前に出ようと思ったわね」
 とてもヴァリエール公爵家の娘姿ではない。父様や母様に見られてたらきっと大目玉だったわ、と嘆息した。普段だったら絶対にこんな無様な格好で出歩こうなんて思ったりはしないはず、どうも頭の動きの方も少し鈍っているのかもしれない。
 どうやらまだまだ完全復活とまではいかないらしい。長すぎた休暇を取った罰かしら、とルイズは思う。なら今までの遅れを取り戻す為にも、まずは体調をしっかり整えよう。
 朝日は既に空高く昇りさんさんと大地を照らしていた。その輝きを臨みながら、ルイズは決意を新たにするのだった。

 朝食を取り終えたルイズがまずしたのは、軽い散策であった。いきなり激しい運動をする訳にもいかず、まずは体を慣らしておこう、という判断だ。学院の外周を徒歩でゆっくりと回って行く。その隣に付き添うのはシエスタで、彼女は万が一ルイズが体調を損なった時の為に控えとしてこの散策に付き合う事となったのだ。それと一人でただ歩くのも詰まらないから、という理由もあった。
 
「そういえば、あなたの髪の色珍しいわね。何処からかの移民の家系なの?」
 部屋に居た時は疑問に思わなかった――いや、思う余裕が無かった――のだが、シエスタの美しく輝く黒髪はこのトリステインでは非常に珍しいものだ。ブロンドが主流のトリステイン人の中で、このダークブルネットの髪は実に貴重なものだろう。おそらく滅多に見られる色では無い。それに、顔立ちも何処と無く異国を漂わせる不思議なものがある。おそらく生粋のトリステイン人ではないだろう、というのがルイズの見立てであった。
「移民、という訳では無いんですけど」
 少し恥ずかしそうにシエスタは己の出自を話し始めた。
「私の曽祖父は、遠い異国の生まれだったそうです。ずっと東の果てからやってきたんだって。私はその曽祖父の血を濃く受け継いでいるらしくて、髪の色や顔立ちがそっくりだって父は言ってました」
 遠い東の地、それはロバ・アル・カリイエなのだろうか。エルフの居るサハラを抜け、このトリステインまでやってきたのだろうか。ルイズはその話に興味心を刺激された。
「もう少し、あなたのひいおじいさんのお話を聞かせて貰えない? 凄く興味があるわ。未知の東方からやってきたなんて凄い事よ」
「ええ、構いませんけど……」
 言葉とは裏腹に、シエスタの口調は明確に話し辛いという雰囲気を匂わせていた。表情もどこかばつが悪そうにあさっての方向に視線を向け、僅かに焦っている様子が見て取れた。
「……何か話し辛い理由があるのなら、無理にとは言わないけれど」
「いえ、別にそういう事は無いんです。ただ……」
「ただ?」
「とても信じられないような話なので、この話を人にするのはちょっと恥ずかしいんです」
 まるで、御伽噺みたいで――そんな文言を付け加える位なのだから、大分風変わりな話なのだろう。本来ならば相手を傷つけぬように控えめに振舞うのも淑女の嗜み、特にトリステインの女は貞淑で慎ましやかである事が美徳とされるのだから、根掘り葉掘り話を聞こうとするのは躊躇うものだ。しかし久々の会話に知的な喜びを覚えていたルイズはそのような礼節を少々踏み外し好奇心に心を委ねてしまっていた。
「大丈夫、話して御覧なさい。どんな話でも笑ったり馬鹿にしたりはしないわ」
「わかりました、私も心を決めました。お話します。曽祖父は私の故郷、タルブって言うラ・ロシェールの近くにある小さな村なんですけど……そこに空からやってきたそうです。東の空から、『竜の羽衣』に乗って」
「竜の羽衣?」
 風変わりな名称に、ルイズが疑問を呈す。おそらくマジックアイテムなのだろうが、「乗って」と言う表現と名称からしてかなり巨大なものに違いない、と想像はついた。
「空を飛ぶマジックアイテムだそうです。羽がついた、奇妙な形をした鉄でできた乗り物で……でも、何かの原因でそれが壊れてしまって私の村に辿り着いたみたいで。その後、国に帰る手段を失った曽祖父は私の村にそのまま住み着く事になった、ただそれだけの話なんです。でも信じられませんよね、空から飛んできたなんて。身内の私だって信じられませんもの」
 きっとこの話をして何度も馬鹿にされた事があったのだろう、語るシエスタの口調には自嘲が含まれていた。
「竜の羽衣は今でも村に安置されてますけど、誰もそれが空を飛ぶ所を見た事なんて無いんです。飛んでみろ、と言われても曽祖父はもう飛ぶ事は出来ないと言うばかりで。でも曽祖父は竜の羽衣をとても大事にしていました。高いお金を払って竜の羽衣に固定化の魔法をかけてもらったり寺院を建てて竜の羽衣を安置したり。曽祖父は私が小さい頃に亡くなってしまったんですけれど、今わの際にこう言い残したそうです。『あれを陛下にお返し出来なかった事だけが心残りだ』と。きっと曽祖父の国の王様からの賜りものだったんですね、あの竜の羽衣は。だからあんなに大事に……」
「確かに俄かには信じ難い荒唐無稽なお話ね」
 未知のマジックアイテムに乗って、東の空からやってきた異国の男の話。それはまさに御伽噺だ。この話を聞かされてそれが真実だと思える者は稀だろう。
「でもね、わたしは信じるわ」
 それでもルイズは信じた。本当に空から飛んできたのか、本当に東の果てから来たのか、事の真偽は判らない。それでも長い半生の間、何かを頑なに守って生きるその姿勢だけは理解出来る。心の中になにか譲れないものを持って生きるというその有様だけは。だから信じた。そうやって己を曲げずに生き抜いた男とその物語を、ルイズは信じた。

 シエスタはルイズの言葉にしばし呆けたように固まる。
「……初めてです、この話を信じた人は」
 余程意外だったのだろう、シエスタの声色は驚きに満ちていた。
「タルブの村の人だって、家族ですら信じていないのに」
「それじゃまるでわたしが変わり者の変人みたいじゃない」
「いえ、そういう訳じゃ」
「あはは、冗談よ」
 ルイズは笑う。実に興味深い話だった。この小さなトリステインの国の中にも、面白い出来事が転がっているなんて。世の中とは面白いものだ。
「でも一度見てみたいわね、その竜の羽衣。そんなマジックアイテムがあるなんて知らなかった」
 きっと姉さまなら喜んで見に行くわね、とルイズは長姉の姿を思い浮かべた。長姉はアカデミーに勤務する敏腕のメイジだ。日々魔法や魔具の研究に明け暮れる彼女であるなら、変わったマジックアイテムの話を聞いたなら喜んで調査に向かうだろう。
「機会があったら是非、見に来てください。タルブの村はラ・ロシェールから本当にすぐの所にあるんですよ。他には何も無いところですけど、村の周りに綺麗な草原が広がっていて、私にとっては一番の故郷です。きっとルイズ様も気に入りますよ」
「ええ、いつか行ってみたいわ」
 ラ・ロシェールの名前を聞くと少しだけ心が震える。あの旅の始まりがラ・ロシェールの街だった。ほんの少し前の出来事であるのに、街の名前がやけに懐かしいようにルイズには感じられた。

 その時何故か――あの時の旅は、まだ終わりを告げていない、そんな予感がルイズの胸に去来した。何故そんな事を思ったのか判らない。ただ、予感がしたのだ。やけに胸がざわついて、おちつかない。不快なような、不安なような、名状し難い感情が湧き上がってくるのを彼女は自覚した。ニューカッスルの悪夢は全ての終わりではなく、始まりに過ぎない。これから全てが始まると、何故かそう思えるのだ。

「あの、ルイズ様、大丈夫ですか?」
 急に黙り込んだルイズの様子を訝しんだシエスタの声が、少女の意識を現実に引き戻した。
「大丈夫、ちょっと考え事をしちゃっただけよ。最近ラ・ロシェールに行く用事があったから、その時の事を思い出していて」
「余り無理はなさらないで下さいね。別に急ぐ必要なんて無いんですから」
 シエスタの声は本当に心配そうだ。何日も塞ぎこんでいる所を間近で見ていたからから、彼女はルイズの体調が心配でならなかった。今日は大分歩いたし、そろそろ切り上げた方が良いかもしれない、とシエスタは思った。

「ところでルイズ様、私もお聞きした事があるのですが」
「何かしら?」
「その……どうも聞く機会を逃してしまってずっと聞けなかったんですが……ルイズ様の後ろに浮いているそれは、一体何ですか?」
 ルイズが部屋より出てきた時から、実はずっと気になっていた。ルイズが余りに堂々と、また平然と振舞っていた為突っ込んで良いものかどうか迷ってしまって、そうこうしている内に散策へと繰り出す事になって結局聞けず仕舞いだったのだ。しかし会話が途切れた今なら、切り出す頃合としては丁度言いだろうと、シエスタは思い切って話を切り出してみた。
 ルイズは己の肩口を見やると、成る程、と合点したように肯いて応えた。
「ああ、この子の事ね? 私の使い魔よ」
 使い魔、と言われても、それはどこからどうみても本だった。皮の装丁をされた、古びた本。特徴的なのは表紙に立派な金の十字があしらわれている事と――ふよふよと宙に浮かんでルイズの後を着いて回ってる事だろうか。
 シエスタの知識では、貴族が従える使い魔というのは犬猫等の生き物だったような気がする。中には竜を従えてしまうような者も居るそうだが、本を使い魔にしたという話は古今東西作り話の中ですら聞いた事が無い。というかそもそも本を使い魔にする事なんて出来るのだろうか? あの紙の束をどうやって?
「……変わった使い魔ですね」
「ええ、良く言われるわ」
 シエスタのような反応には慣れているのか、特に気にした所が無いような素振りでルイズは応える。その余りの自然体に、「なるほど、本が使い魔になる事もあるんだ」と信じ込んでしまうシエスタだった。これがメイジなら、どれだけ常識外れな事なのか良く判ったのだろうが、彼女は平民である。自分達にとって望外の力を使いこなす彼等のやる事は不思議で一杯だ。だからこれも自分達には出来ない事の一つなのだろうと単純に捕らえて受け止めてしまったのだ。
 
「大分歩いたし、そろそろ戻りましょうか。運動だけじゃなくて勉強もしなくちゃ。シエスタ、行きましょう」
「はい」
 日の高さから見てかなりの時間を散策に費やしたようだ。初日の運動としてはこれ位が適切だろう、とルイズは判断して部屋に戻る事にした。歩いている内に大分体が調子を取り戻してきた感じがする。これならあと二日三日程様子を見れば万全な体調を取り戻せるだろう。
 シエスタの言った通り、焦る必要は無い。じっくり力を取り戻そう。逸りそうな心の内を押さえるように、ルイズはそう自分に言い聞かせた。
 
 それからの数日は、体に負担を掛け過ぎないように朝昼夕と三回の散策をし体力を取り戻しながら、散策間の時間に休みの間後れてしまった授業の内容を取り戻すべく勉強する毎日であった。
 弱った体は急激に元の体力を取り戻し、今やすっかり健康そのものだ。授業の方も――何処かの誰かがおせっかいを焼いてくれたお陰で――遅れをきちんと取り戻し、これなら翌日からの授業も問題ないだろう言えるだけの勉強をする事が出来た。
 
 シエスタがやって来てから丁度一週間、ルイズはすっかり嘗ての調子を取り戻していた。
 化粧台に座るルイズの髪を梳くのはシエスタだった。長い桃色がかった金髪を丁寧に梳いて行く。
「これでお別れね、シエスタ」
 シエスタはルイズが日常生活を送るのに支障が出る状態であったから特例で付けられた世話係。ルイズが元に戻った今、シエスタの役割は終わりを告げた。もう大丈夫だろう、とオスマンが判断を下し、今日から再びルイズは一人きりの生活に戻る事になったのだ。
 ただ、元に戻るだけなのに、ルイズの心は寂寥を感じていた。
「この一週間、あなたが居てくれて助かったわ」
 本当に短い間だったと思う。それでも、殆ど一日中生活を共にしてきたシエスタに、何時の間にか親近感を抱いていたようだ、とルイズは気付いた。彼女はずっと自分を支えてくれていたんだと今更ながらのように思う。
「本当に、ありがとう」
 シエスタはただ笑って髪を梳いていた。その笑顔が少し寂しそうだったのは、ルイズの気のせいだったのだろうか。
「これからはまた食堂の給仕に戻るのよね?」
「ええ、そうなんですけど、仕事に戻る前にお暇を頂く事になってるんです。王女殿下のご婚礼に合わせて奉公人達に交替で休暇が貰える事になってて。だから今日にでもここを発って、久しぶりにタルブの村に里帰りをしようかなって思ってるんです」
 本当はもう少し早く帰る予定だったんですけど、とシエスタは付け加えた。
「わたしの所為で迷惑をかけてしまったみたいね。ごめんなさい」
「お気になさらないで下さい。私にとっても楽しい仕事でしたから」
 シエスタが梳いてくれた髪は朝日を照り返し美しく光り輝いていた。髪を梳くのはシエスタから願い出た事だった。最後の仕事に、髪を整えさせて欲しいと。ルイズはただ肯き、それを承諾した。
 
 ルイズは立ち上がると、シエスタと向き合った。異国の血を引く少女とこうして面と向き合うのは初めてだろう。髪と同じようにブルネットの瞳は深く優しくルイズを包み込んでいた。
 シエスタもまたルイズと向き合っていた。意思の篭った、鋭い瞳。それを正面から見つめるのは初めての事だった。それは鋭く、そして美しいとシエスタは思った。

 二人は軽い抱擁を交わす。
「ルイズ様、どうかお体にお気をつけて」
「あなたもね」
 消え去った温もりが、別れの合図だった。シエスタは一礼すると、静かに――何時もと変わらぬように――部屋から出て行った。しかし、もう二度と彼女がこの場を訪れる事は無いだろう。それはやはり寂しい事なのだとルイズは思った。
 だが何時までも感傷的で居る訳にはいかない。今日からは心機一転、元通りの生活に戻るのだ。その最初から躓いていては頑張ってくれたシエスタの努力を踏み躙る事になる。気持ちを振り払うように、ルイズは勢い良くドアを開けた。さあ、今日からまた退屈な毎日の始まりだ。頑張らなきゃね、と。
 
 
 ヘンリー・ボーウッドがその作戦を聞いた時、感じたのは怒りしかなかった。余りに卑劣な攻め手に己の中のプライドが我慢ならぬと悲鳴を上げたかのようだと彼は感じた。それ程までに赦し難い策だ。
 トリステイン王女アンリエッタとゲルマニア皇帝アルブレヒト3世の婚礼を祝い、アルビオン帝国からも親善の意味を籠めて船団が派遣される運びとなっていた。
 しかしアルビオン帝国の真の目的は親善等ではない。親善訪問を装ったトリステイン侵攻作戦こそが皇帝クロムウェルの狙いだった。和平条約を盾に肉薄し一気にトリステインに上陸、不意打ちをかけて制圧してしまう腹積もりだ。婚礼に浮かれるトリステインの動きは鈍いと予想されており、その隙に一気に首都トリスタニアまで兵を進め制圧。勿論トリステインは同盟国であるゲルマニアに助けを求めるだろうが、ゲルマニアは動けぬよう「釘」を刺しておく手筈となっているらしい。どうあがこうが、トリステインに勝ちは無い。アルビオン首脳部はそう考えていた。
 条約を破るなど、なんと破廉恥で卑劣なのだ。正直な所ボーウッドはこの作戦に乗り気では無い。それどころか唾棄すべき最低の所業だとすら思っている。それでも彼は沈黙を貫く。軍人とは物言わぬ剣。剣はただ振るわれるもの、自ら語る事はしない。それが彼の持論であったからだ。しかしそんな彼ですら、この作戦を聞いた時は思わず異議を唱えてしまった。
「このような恥知らずな所業をしては、我が国の名声は地に落ち、その悪名はハルケギニア中に轟きましょうぞ」
 そんな苦言にも皇帝はどこ吹く風と言った様相であった。
「何れこのハルケギニアはレコン・キスタの旗の下一つに纏まる。聖地を奪還した暁には、このような些細な外交上の出来事、誰も気にも留めなくなっているであろうよ」
 余りに尊大な物言いに、ボーウッドには言葉も無かった。この男は本気だ。本気でハルケギニアを統一し聖地を奪還するつもりなのだ。それを成し遂げるという自信が言葉となって表れている。最早説得する事も叶わぬな、とボーウッドは思った。
 だが――その一方で思う。クロムウェルが操る虚無の力、伝説の使い魔、人知を超えた東方よりの技術。この三つがあれば、それも不可能ではないのではないか。ボーウッドはクロムウェルに惹かれてレコン・キスタ入りした生粋のシンパでは無い。上官がレコン・キスタであったからそれに従ったまでの事。だからクロムウェルという男に胡散臭さを覚えてもそこに魅力を感じる事は無かったのだが、今なら認めざるを得ない。オリヴァー・クロムウェルという男の持つ力は絶大だ。妄言が形になってしまうと思える位。
 ボーウッドは、自分も徐々にクロムウェルという男に惹かれている事を実感する。それは何故か、とても恐ろし事に感じるのだった。
 

 シエスタは小鳥の囀りを目覚ましに眠りから目覚めた。ゆらゆらと揺れるこの場所は、乗合馬車の中。彼女はこの中で二日も揺られながら過ごしてきたが、それももう終わりのようだ。外に広がる見慣れた風景は、ここが故郷なのだと彼女に教えていた。
 彼女が手に持った包みは王都で買い込んだ兄弟へのお土産だ。彼女の家は八人兄弟で、シエスタはその中でも一番の年長。いわばお姉さんと言う訳だ。弟達はきっと姉からのお土産を楽しみに待っている事だろう。予定より少し遅れての帰宅になったから、きっと気を揉んでいるに違いない。早くこれを届けて皆を喜ばせてあげたい。

 乗合馬車を降り、シエスタが家に着いたのはまだ皆が仕事にも入らぬ早朝であった。今頃ならきっと朝ご飯の最中位だろうか。
「ただいま!」
 この時間に帰ってくるとは予想外だったのだろう、まだ家の中でのんびりしていた彼女の父も母も驚いたような顔を一瞬見せたが――次の瞬間には相好を崩して娘を出迎えた。小さな兄弟達も我先にと争うように姉の元へと群がって行く。ちょっと見ない内に皆大きくなったなあ、とシエスタは驚いた。半年も見ていないと随分と変わるんだな、と元気に育った兄弟達の様子を見て嬉しくなる。
「シエスタ……お帰り。予定の日になっても帰ってこないから、何かあったんじゃ無いかと心配していたよ」
「そうよシエスタ。何かあったの?」
 シエスタの父も母も、心配そうな顔をしていた。予め送った手紙ではもっと早く帰ってくると告げてあったので、大分心配をかけてしまった事は想像に難くなかった。
「ごめんなさい、どうしてもしなくてはいけない仕事が残っていたから、遅れちゃったの」
「いや、いいさ。無事で居てくれたのなら。しばらく家には居られるんだろう?」
「うん、お休みは一週間貰えたから、その間は居ようと思うの」
「そうか、そりゃ良かった! 今日はご馳走だな! 母さん、頼んだぞ」
 学院での生活も嫌いでは無い。でも、こうやって家族の下へと帰ってくると、やっぱり自分の家が一番落ち着くと実感する。笑顔を浮かべている家族の様子を見て、シエスタもまた安らぎを感じ、笑顔を浮かべるのだった。
 
 兄弟達に買ってきたお土産は主にキャンディーやクッキー等のお菓子類。せっかくだからとちょっと奮発して良いのを選んできた。母にはハンカチを、父には新しいパイプを買ってきた。どれも喜んで貰えたので、シエスタは奮発した甲斐があったと胸を撫で下ろした。
 
 それから久しぶりの自宅のベッドの感触を堪能した後、シエスタは一人外へと赴く。久しぶりの郷里を体で感じたかったのだ。ぶらりと歩き回って見るタルブの村の光景は彼女が奉公に出る前と何も変わらない、穏やかで平和な姿をしていた。ずっとずっと変わらない、のどかな風景。時の流れを感じさせぬこの日常こそが幸せなのだろう。久しぶりの郷里は懐かしく、優しかった。
 シエスタはそのまま村の郊外へと足を運ぶ。村はずれの草原の、そのまた隅にひっそりと佇むのは一風変わった作りの寺院であった。木を組み合わせて作られたそれは村の他の建物とは明らかに雰囲気が違う。まるで違う土地の建物がこの場に迷い込んだかのようだった。
 その開け放たれた入り口より見える巨大な鉄の鳥のような物体こそ、彼女の曽祖父が持ち込んだ竜の羽衣である。くすんだ緑色をしたそれはカヌーに鉄の翼をくっつけたような形をしていて、建物と同じようにこの場の、いやこの世界の雰囲気にそぐわぬ形をしていた。
 シエスタはそっと竜の羽衣に手を触れる。そうすると曽祖父の思い出が蘇ってくるのだ。彼女の曽祖父は壮健であり、村一番の長寿者であると言われた程に生きた。彼が死んだのはシエスタが小さかった頃、いやシエスタが物心つくまで生きていられたと言った方が適切だろう。彼はひ孫を目にするまで生きられるとは思っておらず、シエスタの事を大層可愛がった。シエスタは、曽祖父の顔も声ももう覚えては居ない。でも皺だらけの手の温もりと、この寺院に一緒に良く来た事だけは良く覚えていた。
 冷たい鉄のはずの竜の羽衣に触れていると、何故かあの曽祖父の手の温もりを思い出す。幼い日の思い出がそのままの形でここにはあった。

 寺院の外に広がる草原は初夏の訪れを告げるように夏の花々が咲き始め、青々とした爽やかな風景を描き出していた。そよぐ風は生暖かく、今年の夏もまた暑くなりそうだと彼女に教えているかのようであった。
 シエスタはこの風景が大好きだった。初めは曽祖父に連れられて訪れた場所だった。曽祖父は、ここを「故郷に似ている」と良く言っていた。やがて曽祖父が亡くなった後も、彼女はやはりここに良く来るようになった。見渡す限り一面に広がる草原の美しさは彼女の心を打つものがあったようで、暇な時はここでゆっくりと過ごすのがかつてのシエスタの日課であった。こうして草原を眺めるのも実に久しぶりの事で、彼女はお気に入りの光景を思う存分堪能していた。本当に穏やかで、幸せな時間。
 しかしそれは、長く続かなかった。
 
 ――閃光と、爆音。
 
 村から見える山向こうに、突如現れた光。まるでもう一つのように輝くそれは、信じられない位大きく、名状し難い音を伴い現れた。その光に数瞬遅れるように巻き上がる激しい風。
「きゃああああああ!」
 思わず悲鳴が突いて出る。まるでこの世の終わりが来たかのような状況に、シエスタはしゃがみ込み、ただ震えている事しか出来なかった。しかし彼女の目はさらに信じ難いものを捉えてしまった。
 その光と風とを貫くように、何隻ものフネがタルブを目指し降下してくる。黒塗りのそれらはシエスタににとっては悪夢が形をとって襲い掛かってきたようだった。そしてそこから飛び立つ無数の竜達の姿は、悪魔に相違無い。
 村の方に向かう竜の姿を見て、両親と弟達の事が心配になる。シエスタは萎えた足腰を叱咤しながら必死に走った。どうか、家族だけは無事で居られますようにと祈りながら。自分の身はどうでも良いから家族だけは、と切に祈りながら。シエスタは、全力でただ走った。

 村へと戻ったシエスタの眼前に広がる光景は、信じたくないようなものであった。平和だった面影は何処にも無く、家々は焼かれ人々は逃げ惑う、そこは地獄のようであった。
 シエスタは力なくへたりこむ。ほんの少し前までは何時もと変わらない日常が広がっていたはずなのに、どうしてこんな事になってしまったのだろう。自分達はこのような苦しみを受けなければならない程の罪を犯したとでも言うのだろうか? 絶望の中、少女は祈る。どうか助けて、と。
 だが祈りは神に届かなかった。始祖にも届かなかった。たった一人のちっぽけな祈りは、無力に等しかった。

 ただ、それでも――確かに祈りは届いたのだ。たった一人の少女の祈りは、やはり一人の少女の胸に。それがどれ程の意味を持っているのか、彼女はまだ知る由も無かった。


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