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夜天の使い魔19話

 オリヴァー・クロムウェルという男の名が広く知られるようになったのは、そう遠い昔の事ではない。一回の司教でしかなかったこの男の存在ははゆっくりと、しかし確実に、アルビオンの一部の貴族の中に浸透していった。
 最初彼は「奇跡を起こす者」として知られていた。どんな重病人も怪我人も、彼の使う魔法にかかればたちどころに治ってしまう。それどころか、死者を蘇らせたという話まである。

「私は天啓を得たり」
 男はそう語った。
「始祖は、私に秘められし力『虚無』を与え給う。この力を用いてエルフ達より聖地を取り戻さんと欲す」
 数々の奇跡の前を見せられた貴族達は、皆彼の言葉を信じた。やがてその集団は大きくなり、アルビオン貴族の多くを取り込むに至った。

 ある時、その者達の中からこのような声が上がった。
 ――虚無とは王家に連なる血より生まれいずるという伝承がある。ならば今のアルビオン王家は一体何なのだ?
 それは王家に伝えられる伝承の一つであった。しかし長い歴史の中次第に外に漏れ出し、一部の貴族達の間にもそれは伝えられていた。
「私の中に、王家の血が流れている、という事なのだろう」
 クロムウェルは柔らかな笑顔と共に答えた。
「今の王家は、虚無を受け継ぐに足るものではなかった。始祖はそう判断されたのかもしれません」
 ならば、とその者達は叫ぶ。今の王家は、このアルビオンの主たるに相応しくないのではないか? このアルビオンを納めるのは、偉大な虚無を持ったこの方こそ相応しいのではないか?と。
 男もまたその声に答えた。
 聖地を回復し、この手に取り戻す為。まずその第一歩として、この国から取り戻すべし。
 こうしてアルビオン貴族派――レコン・キスタ――は産声を上げた。彼等の強みは鉄の結束だ。それは、クロムウェルという男の見せた奇跡によって作られた繋がり。それを体感した者達は互いに共感し、強い連帯感を持っていたのだ。これが、レコン・キスタ軍の強さの一つであった。
 彼らは一斉に蜂起し、所詮より破竹の勢いで勝ち続け、そして遂にアルビオン王家を倒すに至った。彼等は遂に、聖地回復への第一歩を踏み出したのだ。
 
 ワルドは今、そんな偉大な力を持った男の前に立っている。一見すると聖職者にしか見えない――彼は、どのような地位になろうとも、司祭服を脱ぐ事を拒んだのだ――その男こそ、今や神聖アルビオン帝国初代皇帝となったクロムウェルである。年の頃は三十半ばであろうか、やや神経質そうな細面ではあるが聖職者の出らしく目元は優しそうな雰囲気があり、人を包み込むような眼差しを持っていた。
「この度は本当にご苦労であった、子爵! 流石トリステインに名高き『閃光』、余の望みを全て叶えてしまうとは。君こそ英雄と呼ぶに相応しい男だ!」
「勿体無いお言葉で御座います、陛下」
 ワルドが頭を垂れる。彼もまた、他の貴族同様にこのクロムウェルという人物に心酔していた。虚無の力を目にしたその日から、彼の心はこの男に捧げられていた。この力ならば、我が宿願も叶う。きっと、聖地へ――。
 礼を取るワルドに対し、満足ながらも何処か困ったような顔をこの皇帝は見せた。
「しかしだな、このような大きな働きに見合う褒章を、余は与える事が出来ぬ。出来るならばその無くしてしまった腕を与えてやりたいのだが……虚無の力を持ってしても、失った腕を新たに生やすという事は不可能なのだ。せめて切り捨てられた元の腕があるならばなんとかなったのだが」
「既に十分な地位を与えられております。あとはただ聖地へと赴く事が出来るのならば、これ以上の何も望むつもりはありません」
 先の働きにより、アルビオン空軍竜騎士隊隊長の地位をワルドは与えられていた。これは外様であるトリステイン貴族に与えられるものとしては、望外のものであった。
「本当に謙虚だな君は。だが約束しよう、余は必ず君を聖地に連れてゆく。君の大いなる忠義に報いる為にもな」
「ですが宜しければ一つだけ、私の質問に答えては頂けないでしょうか」
「何なりと聞くが良い」
「私が手に入れた手紙を用いてトリステインとゲルマニアの同盟締結を阻止する、というのが陛下の策であったはず。それをなさらなかったのは何故なのですか?」
 トリステインとゲルマニアを分断し、まずはトリステインを下す。それが当初の方針だったはず。しかしクロムウェルはそうしなかった。命を賭けてまで手に入れたものが無駄になってしまうというのは、あまり気分の良いものでは無い。
「ああそれはだな、『杖とパン』と言ったところなのだよ」
「杖とパン……でございますか?」
「つまりだ……」
「それは私から説明致しましょう」
 クロムウェルの言葉を引き継いだのは、彼の傍に控える黒いコート姿の女性であった。どの国のものとも思えぬ奇妙ななりをした女の年の頃は二十そこそこと言った所か。表情も視線も怜悧な印象を与える姿は温和そうなクロムウェルと並ぶと一層冷たいものに見える。しかし彼女こそ、クロムウェルが虚無の使い手であるというもう一つの証。現代に蘇った伝説の始祖の使い魔、「ミョズニトニルン」、その名をシェフィールドと言った。神の頭脳と称される彼女の力は、虚無の力に劣らず凄まじいものであった。
 絶対的な虚無の力と伝説の使い魔。これこそがクロムウェルが伝説の担い手である事の証明であった。
「まずは一先ず同盟を締結させ、安心を与えるのです。しかし彼等の一部は痛感しているはず、王女の恋文が敵の手にある限り、この同盟は何時崩れてもおかしくないものなのだと。その不安は真綿で首を絞めるよう、徐々に徐々に心を苦しめて行くでしょう。皆が陽気に浮かれている間もそれは続き、やがて限界を超えた時、彼等の心はずたずたになってしまう。仮にそれに耐えられたとしても、最も最悪の瞬間にこの毒を投下される手筈になっています。そこで絶望しながらトリステインの命運は尽きる。何れにせよ、即座に手紙を流し単に破談に持っていくよりも効果的な使い道が出来ると、貴方が任務に赴いている間我が主はお考えになったのです」
「なるほど、そのような深いお考えがあったとは、このワルド感服致しました」
 実に悪辣だ、とワルドは感心した。首脳部に精神的な責め苦を与え、その上で同盟を破棄させ丸裸にし、完膚なきまでにトリステインという国を叩き潰すつもりらしい。確かにプライドだけに凝り固まったトリステイン首脳部の性根は脆い。マシなのはマザリーニだけだ。これはあの箱入り王女、気が狂うかもしれんな、と思うとワルドは笑いを堪える事が出来なかった。弱いものは滅べば良い。それがワルドの本音だった。
「君の働きがあったからこそ、こうしてトリステインを自由に追い詰める事が出来るのだ。本当にご苦労であった」
 そういうとクロムウェルは疲れた様子で椅子に倒れこむ。
「済まぬ子爵、最近疲れが溜まっているようなのだ。少し休む事にするよ」
「どうかご自愛を、陛下。貴方様こそが我等の望みそのものなのですから」
「うむ、重々承知している」
 
 優雅に一礼し去ってゆくワルドの足音が聞こえなくなった頃、二人の様子ががらりと変わる。クロムウェルの威厳と慈愛に満ちた表情は一気に崩れ、不安げに目をうろうろさせる気の弱そうなものへと変わってしまった。余りの雰囲気の変化に、彼を知るものであっても同一人物とは判らないのではないかと思える程だ。シェフィールドの方は一見何も変わりないように見えたが、忠誠を見せていた目の色が今は激しい侮蔑に彩られていた。彼女のクロムウェルを見る目は、紛れも無く汚物を見るそれであった。
「こ、これで良いのですねミス・シェフィールド。全てあのお方の筋書き通りに」
 クロムウェルの声色は、明らかに怯えを含んでいた。それはシェフィールドに対してでもあったが、彼の称する「あのお方」に対するものが主であるのは疑いようがなかった。
「ええ、これで良いの。お前はせいぜい派手に暴れまわってくれれば良いのよ。あのお方の準備が整うまで、ハルケギニア中の視線を釘付けにしなさい。それがお前の役目。偽りの虚無の使い手として、ハルケギニアを脅かす侵略勢力として、派手に表舞台で暴れまわるのがね。いわばお前はあのお方の囮なのよ」
 シェフィールドの言葉には、何処か棘が含まれているようだ、とクロムウェルは何時も感じる。それは自分の存在へと向けられたものではない。この筋書きを書いた誰かに対してであるように思えてならないのだ。しかしこの筋書きを書いたのは「あのお方」であるはず。だがシェフィールドは「あのお方」へ心酔しているのは長くない付き合いで良く知っていた。ならば、この筋書きを立てたのは他の誰かだと言うのだろうか?
「ミス・シェフィールド」
 クロムウェルは一先ずその疑問には触れない事にした。これに触れる事は彼女の逆鱗を刺激する事だと、心の何処かで感じていたのだ。故に彼が口にしたのはもう一つの疑問。それは常々彼が抱えていた、彼に深く関わる疑問であった。
「貴方は今『偽りの虚無の使い手』と仰いました。ならば私に授けられたこの力は虚無なのですか?」
「ええそうよ、力の一部は紛れも無い『虚無』」
 憎々しげな様子を滲ませ、シェフィールドは答える。
「お前が使う『幻影』と『忘却』の魔法は伝説と謳われた虚無の魔法よ。真の使い手より写し取られた偽りの虚無ではあるけど」
「なんと……」
 6000年間歴史の表舞台に姿を現さなかった伝説をこの手で行使している。クロムウェルの心は畏れで満たされ、僅かに体を振るわせた」
「だからこそ貴方の存在は格好の囮となる。特に本物の虚無と先住の力を操って見せる奇異な存在は、虚無を熟知するロマリアを混乱させるでしょう。貴方が真の虚無の担い手なのか、それとも偽りであるのか、彼等はきっと大いに悩むに違いないわ」
 虚無の次は先住魔法! 次々と信じ難い言葉が続いて行く。今の言葉からするなら、二つの魔法以外の、命に関する魔法は全て先住の魔法であるらしい。虚無に先住魔法、共に人が扱うには大きすぎる力ではないか、とクロムウェルはさらに畏れを増す。一体自分はどうなってしまったのだろう?
 
 彼は己の体に纏っている装飾具を見た。手や首にじゃらじゃらと付けられたそれは、彼の法衣に合わせたように宗教的な祭具のようなデザインをしていた。これを与えられた時の記憶は、何故かあまりはっきりとしていない。だが自分に投げかけられた言葉だけは、鮮明に覚えていた。
「自らの幸運に感謝しなさい、貴方はそれを扱うだけの素質が備わっていた」
 深い、深い女の声だった。地の奥底より響き這い出てきたような、おぞましい情念をその声は含んでいた。
「それは貴方に力を与える。伝説と言われた力を。しかし所詮試作品、それは貴方に力を与える代わりに、貴方の身を苦しめ、傷つける。それでもこれが欲しいかしら?」
 その言葉に、クロムウェルは肯いた。朦朧とした意識と、心の底に積もったアルビオン王家への怨嗟が自然と首を縦に振らせたようだった。女はその様子に満足したのか、楽しげに言葉を続ける。
「おめでとう、これで貴方は『伝説』となった」
 辺りに響き渡る女の哄笑。喜びと嘲りとが一体となったそれは、男にはとても不快なものに感じられてならなかった。

 今思えば、何故このような事に同意してしまったのだろう、と己を責めた。自らの扱う力の余りの大きさに、畏れが恐れへと変わって行き、男の心を傷つけて行く。まるで始祖の権威を侵してしまったように思えて、それが聖職者の彼にとっては大きな罪に感じられたからだった。
 それに――最近、体の調子が酷く悪い。慢性的な頭痛に苛まれ、その痛みを皆の目から隠し通すのも一苦労だった。これが、「身を傷つける」という事なのだろうか? それとも、やはり始祖を冒涜した罰というものなのだろうか?
 
「判ったかしら? クロムウェル」
 冷たく投げかけられる言葉で、クロムウェルの意識は引き戻された。
「お前は最高の囮なのよ。だからしっかり働きなさい?」
 冷ややかに投げかけられる言葉を聴きながら、彼は後悔していた。あの時「王になりたい」などと戯れに言わなければ、こんな事にはなっていなかったはずなのに。だがもう止まれない、神聖アルビオン帝国の皇帝となった彼の身は、既に一人のものでは無いのだ。
 
 オリヴァー・クロムウェルという男の名が広く知られるようになったのは、そう遠い昔の事ではない。しかし、その男の本心を知るものは、この新たな帝国の中に一人も居なかった。


 キュルケは頬杖を突きながら、退屈そうに授業の風景を眺めていた。常に気に入った男子を隣に置きながら楽しく授業を受けるのが常である彼女であったが、今日は気分が乗らないのか知らないが男達のアプローチも軽く受け流し、タバサの隣に腰掛けて実に物憂げな表情でぼぅっと教卓の方を見つめ続けていた。
 キュルケの隣ではタバサが黙々と授業の内容を紙に筆記し写し取っている最中だ。走らせるペンの速度は並大抵では無く、その内容には教師が喋った言葉を一文字も書き漏らしては居ない。さらに黒板に書かれた内容も写し取っているのだから、ペン捌きは神懸っていると行っても過言ではないだろう。
「もう大分溜まってきたんじゃないの、それも」
 視線を外さずに、キュルケが問いかける。
「あれから何日位経ってたっけ?」
「一週間」
「もうそんなに? 早いわね、ほんと」
 はあ、と溜息一つ。それと共に物憂げな表情がさらに憂鬱な色合いを増して行くのがありありと見て取れた。
 
 この筆記作業は最初キュルケ自身がやろうとしていた事だった。しかし元々授業内容など紙に写し取った事の無かった彼女には些か荷の重い作業であった。なにせそのの性分は気の赴くまま情熱の赴くまま、であるからして授業を聞く態度も自らの感性に任せている奔放なものであった。故にこのような細かい作業はまったくした事なかったのだ。
 作業開始初日、四苦八苦していたキュルケの惨状を見かねてか、タバサがその作業を肩代わりすると申し出た。普段からこまめに筆を取っているタバサなら確かにこの作業も幾分楽であろう、と折角の好意に甘える事にしたキュルケであったのだが――。
(これは凄いわよねえ)
 机の上に積まれた紙の束を見れば、キュルケでなくともそう思うだろう。まさか「授業内容を写し取って欲しいの」と言った言葉をそのままに実行してしまうとは。頼まれた事を確実にこなす義理堅さは周知のものであったが、ここまでやるとなると驚きを隠せない。
 しかしそれは、単なる義理堅さだけに止まる事は無いのだろう。おそらくタバサ自身もそうしたいからしているのだと、なんとなく察していた。表情を変えないこの友人は、何もかもに無関心な振りをしていて、本当にどうしようもない時には無言で手を差し出す人間なのだと、キュルケは知っていた。
 
 周りを見渡せば、キュルケと同じように長い授業に飽いて来た生徒達が教師に見つからぬように盛んに噂話に興じている。その話題は凡そ一つ、トリステインの華であるアンリエッタ王女の婚姻についてだ。先日発表されたゲルマニア皇帝・アルブレヒト3世との婚姻は、同時に彼の国とトリステインが同盟を結ぶ事の証でもあった。名を変えたアルビオン――神聖アルビオン帝国――からの侵攻に怯えていた一部の者達にとっては、この上も無い吉報である。先日婚姻に先駆け軍事同盟の締結が行われ、これに恐れをなしたようにアルビオンより送られてきた不可侵条約の打診は、二国の同盟の効果の表れだろう、とトリステイン王室の者達は思っていた。強大な空軍力を持つアルビオンとてゲルマニアとトリステインの二国を相手取って真正面から攻める力は無い。王室内にはいきなり弱腰になったとアルビオン帝国の姿勢を嘲笑うものもあった。
 
 最も大半の生徒達はそんな難しい国際情勢の事など念頭に無く、ただ麗しい王女の婚姻とそれに伴う街の盛況さについてと、その直後にやってくる長く楽しい夏休みについて思いを巡らし胸を高鳴らせていたのだった。お祭り気分を引き摺ったまま休みに入る格好になるので、トリステイン出身の子女が多いこの魔法学院では皆が浮かれるのも無理は無いと言えた。
 しかしそんな活気も、砂上の楼閣でしかないとキュルケは知っていた。トリステインの命運を切り崩す猛毒は、既に敵の手に渡っている。それが使われれば、トリステインは瞬く間に孤立し、アルビオンから攻め入られ、抵抗する事も出来ずに滅亡するだろう。そう、先に滅んだアルビオン王国のように。
 卑劣にて狡猾な子爵が奪った手紙がどのようなものなのか、キュルケもタバサもその仔細を既に知る立場にあった。知ってしまったが故に、この日常が儚く崩れ去る日が来るのではないかと、心の隅に恐れを持って生活しなくてはならなくなってしまった。いっそ知らなければ良かったと思う。しかしあの手紙が何であったのか、何故ルイズがアルビオンへ赴く事になったのかを知る事は、ニューカッスルでの一夜を経験した彼女達にとっては、権利でもありまた義務でもあった。今何が起こっているのか、目を逸らす事は許されない立場であったのだ。
 再びキュルケの口から溜息がついて出る。
 何時戦争になるか、という事実が憂鬱さを運んでくるのもあるが、彼女の心配事はそれだけでは無い。
 ぽっかりと、穴のように開いた席がひとつ、教室の中にあった。何時も必死に頑張って授業を聞いている、小さな少女の姿が、そこには無い。
「一週間も、経っていたのね……」
 アルビオンの危険な旅路より帰還して一週間。ルイズ・フランソワーズの姿は、どこにも無かった。
 
 同じ時刻――トリステインの華と誉れ高く称されるアンリエッタ王女の顔もまた同様に憂鬱なものであった。トリステイン王家に伝わる秘法「始祖の祈祷書」を手に、暗い表情で物思いに耽る。
「せめて、親友の手で婚姻を祝って欲しかった。でも……」
 トリステイン王室の伝統では、王族の婚姻の際に貴族から選ばれた巫女を選出する慣わしとなっていた。その巫女が始祖へ祈りを捧げ、式を祝福する役割を担うのだ。望まぬ婚姻ならば、せめて親友の手で祝福を得たい。ゲルマニアとの同盟の話が持ち上がってから、ずっと心に決めていた事だった。
 しかし今のルイズの姿を見てしまっては、そのような事はとても頼めないと思う。身も心もぼろぼろに傷付いた彼女。元はと言えば、その原因となったのは自分の軽はずみな行動なのだ。この上、さらに何かを押し付けるなどと、そのような恥知らずな真似は流石に出来ようも無い。
 
 たった一人の友人がアルビオンから帰ってきて、城を訪ねてきたという報せを聞いた彼女は心に覚悟を備えながら出迎えに赴いた。きっと自分の想い人は亡命を受け入れてはくれないだろう。そういう人なのだと、彼女は知っていたし、それだからこそ愛したのだという事もまた知っていた。友人からの報せでその事をはっきり突きつけられる、きっとそれはとても辛い事なのだと、覚悟を決めていた。しかしそんな覚悟など何の役にも立たない程――現実は過酷で、残酷だった。
 
 ルイズの姿を見た時、もう既に頭は真っ白だった。友人二人に付き添われて――いや、支えられて、の方がより正しい表現だろう――やってきた彼女の姿は全身包帯まみれで、一目で重症であると判った。そしてその身を省みずに膝を折り頭をこすりつけて言うのだ、ただ「ごめんなさい」と。涙に濡れながらそう繰り返す友人の姿に、かける言葉など無かった。労を労う事も、同情する事も、何かを問いただす事も、そんな事は一切頭に浮かばなかった。ただ、自分がした事が如何に軽率であったか、それがどれ程友人の体と心を苛んだか、それを知った。

 ごめんなさい。その言葉がアンリエッタの耳にこびりつき、離れない。ルイズは全ての咎が自分にあったと思い込んでいた。自分の力が至らなかったからウェールズを助ける事も、手紙を取り戻す事も出来なかったのだと、そう思っていたのだ。王女が幾らそれは違う、咎があるのなら軽挙な自分にあるとそう言っても、彼女はそれを聞き入れなかった。
 そっと水のルビーを取り出し去っていくルイズの後姿はあまりにも悲しかった。なんの罪も無い者が己に咎があると責めたてるのなら、一体どうやってそれを雪げば良いと言うのか。
 
 アンリエッタは拳を強く握り締めた。わたくしの小さな不幸意識が、より多くの悲しみと苦しみを生んだのなら――それこそが真に罪なのだ。決して友人に罪咎は無い。
 わたくしは子供だった、そうアンリエッタは痛感した。籠の鳥と悲劇ぶっていても現実はどうにもならない。きっとこれからのトリステインは激動を迎えるだろう。せめて、どのような事が起きようと、今度はきちんと目を伏せずに現実を見つめようと、彼女は決心した。それが、必死に自分の願いを叶えようとしてくれた友人に対して、唯一の報いになると、そう思ったから。


 魔法学園の本塔の天辺、学院長室でもまた一人の老人が頭を悩ませていた。
「本当に困ったもんじゃのう」
 オールド・オスマンの口から溜も息が漏れて止まない。今年はどうも気苦労ば多い気がする。こりゃ厄年か?
「ミス・ヴァリエールが授業に出なくなってから何日かね?」
「もう一週間になります」
 そう答えたのはコルベール。彼の秘書ぶりも大分板についてきた。最初は渋っていたこの仕事だが、「やってくれたら研究費あげる」という甘言には敵わず、忙しい中こうしてオールド・オスマンの補佐に回る日々を過ごしていた。
「まさかここまでショックを受けているとはのお……予想外じゃったわ」
 アルビオンへの旅で何があったのか詳しくは知らない。しかしそれが彼女にとって辛いものであったのは、ぼろぼろになった体と一切部屋から出てこようとしない様子で一目瞭然であった。色々と心の整理も必要だろうと暫くは放置しておく方針だったオールドオスマンであったが、流石にそれが一週間も続くとなると心配せずにはいられない。
 
「まずは友人達に説得でも頼んでみようかの?」
「既に何人かが部屋を訪ねたそうですが、幾ら呼びかけても返事が無いそうです。本当に部屋に居るのか怪しいほど、まったく物音がしないと」
「むむむ……」
 完全に心を閉ざしている、と言う事か。オールド・オスマンは頭を抱えた。まさか無理矢理押し入る訳にも行くまい。押し入った所でどうする事も出来ないのだ。彼女自身が自分の心に向き合い、自ら外に出てこない限り、問題の解決にはならないのだ。我々がすべきはその手伝いだ、そうオスマンは考えた。
「しかしだからと言って静観ばかりしている訳にも行きませんよ」
 オールド・オスマンの考えを汲み取ったように、コルベールが言葉を紡ぐ。
「同じクラスの生徒に聞いたのですが、どうやら食事も満足に取ってはいないという話です。これ以上放置しておけば……」
「身体の衰弱を招く、か」
「はい」
 老人は暫し思考を巡らす。滅多に見せない難しい表情を見せながら、如何すべきか必死に模索を続ける。その沈黙が大分続いた後、彼はようやく口を開いた。
「ならとりあえずミス・ヴァリエールを補佐する者でもつけるとしようかの?」
「補佐……ですか」
 コルベールはその言葉の意図を計りかねているようだった。
「うむ。身の回りの世話をし、彼女が立ち直れるまで生活を助ける。そういった者じゃ。言うなれば専属のお手伝いさんじゃな」
「成る程、そういう事ですか」
「学院に奉公に来ている平民の娘の中から、歳の近い者を誰か寄越すよう手配してくれんか、ミスタ・コルベール」
「判りました、今すぐにでも」
 踵を返し、学院長室を出ようとする男の背中に、「なあ、ミスタ・コルベール」と声がかけられる。コルベールは立ち止まりながらも、振り返らずにその言葉の続きを待った。
「魔法を使えず、誰からも馬鹿にされていた少女がやっと魔法と使えるようになった矢先にこれじゃ。世の中は随分と理不尽だと思わんか?」
「人生は、何時も理不尽ばかりです」
 コルベールの言葉には、昔を懐かしむような、そして何かを悔いるような、そんな響きが含まれていた。
「ですがそれを乗り越えようとするからこそ、人は成長して行けると、そう信じていますよ。私が知るミス・ヴァリエールは何時も諦めずに前に進む生徒でした。どれだけの屈辱を味わおうと、努力を踏み躙られようと、それでも歩みを止めない。今回もきっと、立ち上がってくれると信じていますよ」

 コルベールはそう言い残し、学院長室を去って行く。遠ざかる足音を聞きながら、オールド・オスマンは誰かに言い聞かせるように、言葉を続ける。
「確かにそうかもしれんな。理不尽を超えるからこそ人は成長して行ける。……だがそれはきっと楽でも幸せでも無い生き方なのじゃろうよ。できるならわしは、皆には幸せに生きて欲しいんじゃ」
 老人の嘆くような呟きは、石造りの塔の中、誰にも聞かれる事無く消えていった。
 

 トリステイン魔法学院の人間を分類するのなら、大きく三種類に分ける事が出来るだろう。
 まずは教師。一人前のメイジであり、皆を導く役目を担う存在。
 次に生徒。トリステイン中、さらには外国からの帰国の子女達がここには集い、日々一人前のメイジとなるべく勉学に明け暮れている。
 そして最後が平民。給仕や雑用を行う為に、この学院には多くの数の平民が雇われていた。
 そんな平民の中に、変わった風貌の娘が居た。トリステインでは滅多に見られぬ黒い髪、異国を感じさせる愛嬌のある顔立ちにはそばかすが浮かび、独自の魅力を放っていた。専ら食堂で給仕を行うのが仕事のこの娘の名は、シエスタと言った。
 シエスタは今日も何時もと変わらぬように仕事をこなしていく。もうすぐ昼食の時間が迫っていた。横に50人もの人数が腰掛ける長いテーブルに次々にナイフとフォークを並べて行く手際は見事なものだった。

 滞りなく仕事を終え厨房に戻り、次に移ろうとしたシエスタを「おい」と呼び止める声がする。彼女を呼び止めたのは料理長のマルトーだった。つまりこの厨房の主である。シエスタにとっては、直接の上司と言っても言い人物であった。
「残りの仕事は良い。なんでか知らんが、学長先生がお前をお呼びだそうだ」
 そう言うマルトーの顔は不安げな表情を浮かべている。
「なあシエスタ、お前さん何かやらかした訳じゃないよな?」
「いいえ、全然心当たりが……」
 そうは言うものの、平民の立場は弱い。何か知らぬ間に粗相をしでかしていて、それが貴族様達の怒りを買ったのではないかと、シエスタは怯えた。
「ともかく、至急来てくれって事だ。食堂の外に先生が一人向かえに来てる。すぐに行ってくれ」
 食堂の入り口の方を覗き込むと、頭の禿げ上がった中年の教師の姿が見て取れた。確か名前は――コルベール先生、だったっけ? 教師の中でも物腰柔らかく接し易い人物だとシエスタは記憶していた。
「すみません、それじゃあ行ってきますマルトーさん」
「おう、仕事の事は心配するな。一人くらい抜けてもなんとかなるからな」
 シエスタは不安を抱えながら中年教師の下へ向かっていった。始祖へ必死に祈りを捧げながら。
 ――どうか、悪い知らせじゃありませんように、と。


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