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夜天の使い魔15話

 幼かったルイズには「許婚」という言葉の意味など判らなかった。でもその人がとても自分に優しくしてくれる人だ、と言う事は理解出来ていた。
 彼女は良く叱られた。魔法が上手く出来ず、何時も何時も失敗ばかり。そんな不出来な娘を厳しい母は良く叱り付けた。上の姉二人が優秀な魔法の使い手だった事もまたそれに拍車をかけていたのだろう、母の怒りは何時も激しく、それが幼い身にはとても恐ろしくて、一人逃げ出し木陰で泣くのが習慣となっていた。
 母だけでは無い。父も、姉も、使用人すらも、皆彼女を罵るのだ。名門ヴァリエール家の娘にあるまじき、出来の悪い子だと。それが悔しくて、涙は止まる事を知らなかった。
 ――わたしはこんなにがんばっているのに。誰よりもがんばっているのに。
 その努力が結果に結びつかない現実に、何時も彼女は苦しんでいた。
 
 しかしそんな彼女の苦しみを癒してくれる人が二人居た。一人は彼女の次姉。いつも笑みを絶やさず優しい姉。彼女は決してルイズを叱り付けたり罵ったりする事は無かった。悲しい時はただその両腕で包み込んでくれるのだ。少しでも、妹の苦しみが和らぐようにと。姉は体が弱く、外に出る事すらおぼつかない体であった。きっとそれは本当に辛い事だったはずなのに、何時も自分の身を案じてくれた。ルイズはそんな姉が大好きだった。
 そしてもう一人。彼はルイズが悲しみにくれる時、何時の間にか現れて彼女を慰めてくれるのだ。大きな手で優しく頭を撫でて、泣き止むまでずっと一緒に居てくれた。
「君はとても頑張っているじゃないか。きっと何時か、誰もが驚くようなメイジになるさ」」
「ほんとうですか、子爵さま」
「ああ、そうさ! わき目も振らず、真っ直ぐに、全力で。そうやって頑張れば、叶わない事なんてない。僕はそう思っている」
 その時の言葉が、今の彼女の一端を形作っているのは間違いない。頑張れば、叶わない事なんて無いと。その言葉は今に至るまで一瞬だって忘れた事は無い。
 ジャン・ジャック・フランシス・ワルド。その人は、ルイズにとって本当に特別な人だった。許婚であり、初恋の人であり、そして彼女の心の支えであった。
 
 ワルドは驚きの顔を見せたものの、即座に破顔し満面の笑みを見せ、ベッドから跳ね起きて喜びを全身で表した。
「おお、ルイズ! 僕のルイズ! まさかこのような場所で再会しようなどとは、まさに始祖のお導きに違いない。始祖ブリミルよ! 素晴らしき計らいにこのワルド、最大の感謝と賛辞を貴方に捧げましょう!」
 包帯だらけの己の体も省みず、大袈裟に両手を掲げて歓喜する男の姿がそこにはあった。
「お久しぶりでございます、子爵さま」
 ルイズの頬は紅潮し、思考は乱れに乱れ、この思わぬ再会に混乱していた。ワルド子爵とはもう何年も会っていなかった。彼の父が戦死した後、その穴を埋めるように率先して従軍し、数々の戦功を立てたというのは風の噂で聞いていた。今や栄えある魔法衛士隊のグリフォン隊隊長、気軽に会える身では無くなっていたからだ。
「さあ、もっと近くにきて顔を見せてくれないか。その愛らしい笑顔をもっと近くで見せておくれ」
 ルイズはしずしずとベッドに近寄ると、脇に置かれたあった椅子に――淑女然と、たおやかに――座った。
 近くで見る己の許婚の顔は、記憶の中のものよりも一層精悍さを増し、より魅力を蓄えたようだった。綺麗に切りそろえられた口髭と長く靡く髪もそれをさらに際立たせているように思えた。
 胸の高鳴りが増していくのを、ルイズは自覚していた。緊張のあまり、何をしていいのかまったく判らない。ただおろおろと俯き加減に、子爵の動向に場を任せていた。
「最後にあった時は、まだ小さかったのに、今や立派な淑女になったね。もう何年の月日が流れたのだろう」
「六年です、子爵さま」
「六年!」
 おお、と思わず手で顔を覆い天を仰ぐワルド。
「我武者羅に任務をこなす内、そんなにも時間が流れていたとは。すまないルイズ、決して君を蔑ろにしようと思っていた訳では無いのだ」
「勿論存じ上げております。子爵さまは決死の覚悟でお国に尽してきた事、わたくしの耳にも届いておりました。それの何を咎める事が出来ましょう」
「だがな僕のルイズ、それでも君に寂しい思いをさせてしまったのは事実。申し訳ないと思っているよ。ところでルイズ。喜びの余り気が回らなかったのだが、何故君がこのような場所へ? この危険なアルビオンに、一体どのような用事があると言うのだい?」
「それは、」
 ルイズはワルドに説明する。王女からウェールズ皇太子の下にある手紙を回収してくるように頼まれた事、その波乱に満ちた旅路の事、このニューカッスル城は明日総攻撃をかけられるであろう事等。
「どうやら僕の力不足が君を危険に晒してしまったようだな」
 そう言ってワルドは少し肩を落とす。
「僕が首尾良く任務をこなせていれば、こんな事にはならなかったのに」
「ではやはり、姫さまが先んじて任務を託されたのは……」
「そう、僕だ。密命でただ一人、このアルビオンに赴いたのだがね、貴族派の動きが活発で思うように動く事が出来なかったのだよ。ルイズ、君がスカボローに立ち寄らなかったのは正しかった。もしあそこに赴いていたのなら、僕と同じように足止めを食っていただろうからね。そんなこんなでなんとか連中の間隙を突きニューカッスルへと向かったのだが途中で追撃にあってね、あえなくこの様だ。まったく、少しは腕に自信があったつもりだったのだが、とんだ自惚れだったようだ」
 自重気味に笑うワルドに思わず慰めの言葉をかけようと思うが、なんとかそれを思いとどまった。安い同情は時に蔑みよりも辛い。ルイズはただそっとワルドの手に自分の手を重ね合わせるのみに止めた。
「ああ、ありがとう僕のルイズ。こうして決死の覚悟で城に向かった褒美がこの再会ならば、僕の努力もまったく無駄ではなかったと実感出来るよ」
 嬉しそうに笑うワルドに釣られてルイズも笑った。昔と変わらぬ、優しい笑顔がルイズの胸を喜びで満たして行く。
 
 ワルドはベッドから立ち上がろうとする。すこしぎこちない動きがルイズの心配を煽った。
「お体は大丈夫なのですか?」
「ああ、この程度なんて事無いさ。優秀な水メイジ達がしっかり治療してくれたよ。お陰でもう全然大丈夫だ。それよりもルイズ、せっかく再会したんだ、こんな辛気臭い部屋の中にずっと居ても面白くないだろう? 少し一緒に外を回らないか。こう、どかんどかんとうるさくては風情も無いが、ここよりは大分ましさ。どうだい?」
「勿論喜んでご一緒します」
 はにかみながらルイズは答えた。かつてヴァリエール邸の庭を手を引かれながら回ったことを思い出し、さらに胸が高鳴って行く。
「さあ、手をどうぞレディ」
 差し出された手を、そっと握る。温もりもまた、記憶のまま。まるで昔に戻ったようだ。今何処に居るのかも忘れ、ルイズはただただその幸せを噛み締めていた。
 
 暇を持て余したキュルケ・ツェルプストーは城の中庭に散策に来ていた。外に出て砲撃の音は一層強まり、それが彼女の耳を刺激して気に障らせるが、こうして外の瑞々しい空気を吸うとそれでも気分が晴れやかになっていくのを感じることが出来た。戦いの最中だと言うのにきちんと手入れされた庭園は目を喜ばせるのには十分だ。おそらく、こういう事態だからこそ逆に手入れをかかさないのだろう、そうキュルケは思う。厳しい戦いの中、癒しが何も無いのでは人は生きていけない。こういったささやかな所で少しでも心を和ませようと、そういう努力が見て取れた。色鮮やかな花達は、例え戦場の最中でも見事なまでに己の美しさを誇示し、高らかに生命を歌い上げていた。
 そっとしゃがみ込み、花に手を添える。赤く燃えるような花弁と芳しさがまるで自分の二つ名「微熱」のようであり、思わず顔を綻ばせる。何時もの妖艶さは成りを潜め、まさに淑女そのものと言えるような雰囲気が、今の彼女にはあった。もし魔法学院の誰かがこの姿を見たのなら、きっと驚きを隠せないであろう、そう言った姿だった。
「あら?」
 誰かの話し声と、歩み寄る靴音が聞こえる。瞬く間に何時もの調子を取り戻したキュルケは、誰かしら?と首を傾けた。そしてその姿を認識した時――反射的に物陰に身を潜めてしまった。
 これは信じられない、と眼前に写る光景を、未だ頭は受け入れようとはしなかった。だって、だって。
(だってあのヴァリエールが男連れ? これは何かの前触れかしら?)
 凛々しい男性と、それに連れられるように歩いているルイズ。頬を染め、伏目がちにした視線、そっと握られた手。どういう状況かは言うまでも無かった。
(何してるかと思ったら男と逢引? なかなかやるじゃない)
 会話の内容を盗み聞きする限り、どうやら男――トリステインの子爵らしい――とルイズは旧知の仲であるらしかった。楽しそうに昔話に花を咲かせている。学院では見せた事の無かった、屈託の無い笑顔。それはキュルケが初めて目にするものだった。何時も仏頂面で怒ったような表情をしているばかりだったので、このような笑顔は実に新鮮味があった。
(あんまりこうしているのも野暮かしら)
 他人の逢瀬を盗み見るというのはあまり気持ち良いものでは無い。物音を立てぬよう細心の注意を払い、キュルケはその場を後にした。
 
 客室に戻ってきたキュルケを、やや意外そうな面持ちでタバサが迎えた。
「ちょっと驚きの光景を目にしてね……喉が渇いちゃって」
 そう言って侍女が煎れた紅茶を口にした。隣にはうず高く菓子が乗せられていたであろう皿が積まれている。その数10を軽く超えるだろう。そして今も、タバサは菓子を食べ続けている。これだけ食べてどうして太らないのだろう? 本人曰く「体質」らしいが、実に羨ましいとキュルケは思う。あたしも何も気にせずお菓子をぱくつきたいわ。
 しばらく無言で紅茶を啜る。やがて、ルイズが何食わぬ顔で客室に戻ってきた。
「待たせたわね」
 顔を赤らめ、肩で息をしている事から、急ぎ走って戻ってきたのは明白であった。楽しく歓談中に、すっかり忘れてたあたしたちの事を思い出してすっ飛んできた、という所かしら?とキュルケは推論を立てた。
「無事に旅の目的は果たしたわ。あとは帰るだけ」
「そりゃあ良かったわ。こんな物騒な所、早速おさらばしましょ?」
「……そうしたいのは山々なんだけど、皇太子さまから頼まれごとがあって」
「……あんた、また厄介事を引き受けて」
 一体何度嘆息すれば良いのだろう、キュルケの溜息は底を尽きそうだった。
「明日の昼、貴族派の連中がここを総攻撃してくるらしいの。で、その前の早朝、この城の平民達がフネで避難するんですって。わたしたちはその護衛をしてくれないかって」
「判るわよ、判るわよヴァリエール。あんたの性格からして、もう引き受けちゃったんでしょ、それ」
「うっ」
 思いっきり見透かされている。ルイズの頬を冷や汗が伝った。
「まあ良いわ。どうせスカボローの街でまた船待ちしなきゃならないんだし、それから考えれば同じ位の時間でしょ。むしろラ・ロシェールまで直通なんだからこっちの方が楽ちんね。とりあえず、この城が落ちる前に出られるなら何も文句無いわよ。タバサはどうなの、賛成かしら、それとも反対?」
「依存無い」
 ルイズはほっと胸を撫で下ろした。これでなんとか皇太子との約束は守れそうだ。
「でもそうなるとあと一晩泊まる事になるのよねえ」
 キュルケが頬に手を当て思案顔になる。
「こんな何もする事が無いような所じゃ、退屈で仕方ないわ」
 今や攻め落とされようとしている城の中、娯楽なんてあるはずも無い。彼女が好むのは刺激、好まざるのは倦怠。最も、昨日のような刺激的すぎる一日は勘弁願いたいのだが、適度な刺激は望む所なのが彼女であった。
「皇太子さまが仰っていたんだけれど、今夜祝宴が開かれるらしいわ。
わたしたちも是非出席してくれって」
「成る程、最後の晩餐って訳ね」
 皮肉気にキュルケは笑う。華々しく散る前の最後のご馳走、と言う訳だ。実に良く判る成り行きだった。
「そういう事なら、出ない訳には行かないわねえ。このあたし、キュルケ・ツェルプストーがパーティーに華を添えましょうか」
 おほほ、と笑うキュルケの脇で、タバサの目もまた妖しく輝く。その瞳は語っていた。――ご馳走を、食い尽くしてやる、と。
 
 このまま客室に残っていても埒が開かないので――というか、城の菓子を食い尽くす勢いのタバサを止める意味合いもあり――三人はそこを後にした。
 キュルケは「早速ドレスを選ばなくちゃ」と心弾ませているようだった。ルイズはぼーっとしながら廊下を歩いており、タバサもぼーっとしながら同じように歩いていた。傍目にはテンションの高い姉とそれに従う妹の図である。
「ところでさあ」
 不意に、キュルケがルイズに声をかける。あまりにも不意な事だったので、ルイズはびくり、と体を振るわせた。
「な、何かしら?」
「あの素敵おじさまとは一体どういった関係なのかしらぁ?」
「なっ!」
 にんまりと笑うキュルケを前に、ルイズはあからさまに動揺した。目は激しく泳ぎ、わたわたと両手をせわしなく動かしていて彼女が激しく驚いているのが誰の目から見てもはっきりと判った。
「ななななな、なあんのことかしら。ささささささ、さっぱりわからないわ」
「あたし見ちゃったのよねえ。お髭の凛々しいおじさまと、あ・な・たが楽しそうにお話してる所をねぇ」
「ううう……」
 一生の不覚、まさかこんな場面を見られていたなんて。よりによって最も見られたく無い奴に見られてしまった、とルイズは歯噛みした。しばらくはこの事でからかわれるに違いない。
「ねえ、話しなさいよ。あたし、とっても興味あるわあ」
 追求の手を緩めないキュルケに、いよいよ困り果てた時。
「やあやあ、それは僕の話かね?」
 背後から、救いの手は差し伸べられた。
「子爵さま!」
 彼女達の背後には、何時の間にかワルド子爵の姿があった。姦しく騒いでいた為どうやら接近に気付かなかったようだ。
「あら、近くでお顔を拝見すると一層素敵ね。あなた、情熱はご存知?」
 良い男と見れば声をかけずには居られない、奔放に自由に心のままに生きるツェルプストーの女の性であった。熱っぽい視線を向け、己の色香を存分に見せ付ける。
「お褒め頂き光栄だがね、あまり近付かないでくれないか」
 静かに拒絶の意を示す子爵に、キュルケは残念そうな表情を浮かべた。
「どうして? あたしの魅力では不足かしら?」
「大切な婚約者の目の前で、他の女性と親しげにするというのは紳士の振る舞いではない、と思うのでね」
「なんですって!? ルイズ、あんたの婚約者なの?」
 ルイズはもじもじと恥ずかしそうにしながら小さく肯き、それを肯定した。その様はまったくもってキュルケの知るルイズのものとは違う。まるで外見はそのままに中身を別人に入れ替えたのではないか?と思えるような変貌ぶりだった。正直、恐ろしい程の猫の被りようだ。
「あんたも公爵家ご令嬢ですものね、婚約者の一人も居ておかしくないか。もう、早く言いなさいよ。誘惑損よこれ」
 キュルケの情熱は一瞬で冷め。つまらなそうな表情で溜息をついた。
「友達と歓談中に済まないがねルイズ。大事な用件なんだ。殿下からの預かり物はきちんと持っているかい?」
「ええ、無くさないように懐にしまってありますわ」
「そうか、それなら結構。しかし先程聞いたのだがね、今夜は祝宴が開催されるそうじゃないか。万が一と言う事も有り得る、僕に預からせてくれないか? 幸い僕は淑女の方々と違ってあまり着飾る必要も無いのでね、紛失の機会は無いと思うのだよ」
「確かに」
 ルイズは思案する。パーティーに出席する以上、まさかドレスの下に手紙を忍ばせておく訳にも行かない。それに荷物は全て捨ててしまったので、保管しておくべき入れ物も無い。そうなると、パーティーの間中手紙は無防備になってしまうだろう。それならば信頼の置ける子爵に預けてしまうのは最も良い手段とは言えないだろうか? それに彼が元々最初に任務を引き受けたのだ。苦労してこのニューカッスル城まで来たのだからして、その名誉は彼が受け取るのが筋ではないかという婚約者への贔屓心が働きもした。
「では子爵さま、お願いできますでしょうか」
 ルイズは懐より手紙を取り出すとワルドに手渡した。
「確かに。絶対に王女殿下の下に辿り着くまで、誰にも触れさせない事を確約しよう。それでは、また今夜」
 そう言って踵を返す子爵。
 タバサはその姿を見て僅かに目を細める。振り返る刹那、僅かに唇の端が歪んだように見えたのは、果たして気のせいであったのだろうか?
 その事に疑問を呈そうとしても、ルイズの様子を見るとそのような気持ちも萎えて行く。自分の婚約者を、身内を疑われて喜ぶ者など居ない。ここは気持ちを抑えておく事にした。勿論、あの子爵への注意を忘れずに。
 タバサの隣ではルイズが一人、名残惜しそうに子爵の後姿を見送っていた。
 
 夕刻を過ぎた頃、城の中央にある広大なホールでは、アルビオン王家最後の祝宴が開催されようとしていた。テーブルには贅を凝らしただろうご馳走が並び、参加する貴族達はは皆これでもかと着飾ってこの最後の祝宴に参加していた。場の一角には簡易の玉座が設けられ、そこに座る老王ジェームズ一世がパーティーの様子を目を細めて見守っていた。
 それはまさしく花火の様であった。散る一瞬が最も輝くように、彼等は最後の時を楽しんでいたのだった。
 ルイズ・タバサ・キュルケの三人もまた各々ドレスに着飾ってこのパーティーに参加していた。ルイズとタバサはそれぞれ白と薄緑の標準的とも言える癖のないパーティードレスを着ていたが、キュルケは一人燃えるような真っ赤で大胆な赤のドレスに身を包み会場の視線を独り占めにした。
 美しいトリステインからの客人を最大限にもてなそうと、皆が彼女達を歓待した。料理やワインを勧め、楽しげにアルビオンの様子を語り、今この時を楽しもう、楽しませようとしていた。ルイズ達もまた、それに己の力の限り答えた。それが礼儀だと、各々が自覚していたのだ。最後の時に訪れた客人として、精一杯もてなされる。それこそが、死に行く彼等への餞だった。
 やがてウェールズ王子が場に現れると貴婦人達が一斉に歓声を上げた。他国にもその名声轟くプリンス・オブ・ウェールズ、その人気は絶大のようだ。手を振るたびに黄色い歓声がそこかしこから上がるのが聞こえた。そのどれもに律儀に答えながら、ウェールズは父である王の横に侍る。

 ルイズは一人、バルコニーで物憂げに月を眺めていた。彼女は激しく葛藤していた。
 ――名誉のままウェールズ皇太子を死なせるべきなのか、それとも無理矢理にでも連れ帰ってアンリエッタ王女の下へ送り届けるべきなのか。
 貴族としての誇りと、友人への友愛とが激しく彼女の心を締め上げ、容赦なく苦しみを与える。どちらが大事なのか、天秤にかけてもそれは一向にどちらへも傾かない。そのどちらもが、比べられない位重要なのだ。だがどちらも取る、などという都合の良い事は出来ない。どちらかを捨て、どちらかを選ばなくてはならない。そしてその役目は今、彼女に委ねられているのだ。
(姫さまは、きっと殿下の亡命を望んでいらっしゃる)
 言葉にこそ出さなかったけれど、あの密書にはそう書かれていたのだろうとルイズは確信していた。
 選ぶべきはウェールズの誇りか、アンリエッタの愛情か。
(一体、わたしはどうすれば良いの?)
 二つの月はただ大地を照らすのみで、何も答えてはくれなかった。
 

 やがて楽団の奏でる楽曲が流れ、ホールでは男女が思い思いのパートナーとダンスを踊り始めた。誰も彼もが、最高の笑顔を浮かべ、舞っていた。そこには煌びやかにして儚い美しさが存在していた。
「こんなところに居たのかい、ルイズ」
 一人黄昏るルイズの元を訪れたのは、ワルド子爵であった。彼は特に着飾っている様子はなく、衛士服の外套を外したのみという彼の普段通りの格好でこの場に現れた。
「こんな格好じゃ場違いだったかな、少し恥ずかしいよ」
 アルビオン貴族達の着飾った様子を見てか、少々照れている様子だった。
「いいえ、それが子爵さまの礼服ですもの、何も恥じる事はありませんわ」
「そう言って貰えて心が軽くなったよ」
 ほっと胸を撫で下ろすワルド。
 そして軽く咳払いをすると、身を正しすっと手を差し出す。
「せっかくの美しい夜、どうか僕と踊っていただけませんか、レディ?」
「喜んで」
 ルイズとワルドは二人、楽曲に乗るがままに踊る。六年ぶりの再会であるとは思えぬように、息がぴったりとあっていた。軽く腰に触れる手の感触に、どこかこそばゆいものを感じながら、ルイズはこの時間を楽しんだ。
 六年ぶりにあった許婚は、何も変わっていなかった。それどころか、もっと素敵になって自分の前に現れた。まるで夢のよう、とぼうっとした思考の中ルイズはワルドの顔を熱っぽく見つめる。ワルドもそれに気付いたのか、優しげな笑みを彼女に返す。それだけでもう、ルイズは満たされるのだった。こんなに幸せな思いをしたのは、きっと人生で初めてだわ、とルイズは思った。苦労を重ねてこのニューカッスルまで来たご褒美なのかしら。
 やがて曲が終わりを告げ、名残惜しそうに離れる二人。
「僕は少し、夜風に当たってくるよ。君はこのまま祝宴を楽しんでいてくれ」
 そう告げるとワルドは風のように去っていった。
 ルイズが己の頬を触ると、僅かに熱が残っているような気がした。芯は、言うまでもなくまだ熱い。彼女はワインを軽く口に含みながらも、心の中では先程のダンスを今もまだ反芻していた。
 ぼうっとしていた彼女の元へ人ごみを掻き分け、やってくる者の姿があった。ウェールズ皇太子その人である。
「やあ、どうやら楽しんでもらえているようだね」
「殿下……」
 ウェールズの顔もまた、満面の笑みに彩られていた。彼もまた最後の時を演出しようと必死になっているようだった。
「先程のダンス、実に見事であった。聞けば子爵とミス・ヴァリエールは許婚どうしだとか。なんとも奇妙な巡り合わせもあったものだ」
「ええ、この奇跡のような再会を与えてくれたニューカッスルの地と、この日の事は決して忘れえぬ思い出となるでしょう」
「……それは、我々にとっても何より嬉しい事だ」
 ウェールズがその言葉に少し目を伏せる。握られた拳は、僅かに震えているようだった。
「ミス・ヴァリエール。アンリエッタに伝えてくれないか、「ウェールズは勇敢に戦い、そして死んだ」と」
「それだけで、宜しいのですか?」
 ああ、と彼は肯いた。
「それ以外に、伝える言葉は持たぬ」
 嘘ばっかり、とルイズは思う。今だって、必死に耐えているのだ。伝えたい言葉、伝えたい気持ちが数え切れない程あるというのに、それを必死に制している。彼は聡明であった。それが故に、己の心情をそのまま伝える事の害を良く理解していたのだ。本当の気持ちすら伝えられない、それは堪らなく悲しい事だとルイズには思えた。
「亡命なさいませ、と申しても、聞き入れてはくれないのでしょうね」
 ルイズは儚げに笑った。
 そして許婚と再会して浮かれあがっていた自分を恥じる。一方で引き裂かれようとしている恋人がいるというのに、なんという恥知らずか、と。
「もし私がトリステインに亡命しようものなら、貴族派がトリステインに攻め入る絶好の口実を作ってしまう。それはなんとしても避けなければならない。あのアンの居る美しいトリステインを戦火に巻き込むなど、それは死すら生ぬるい程の恐怖と苦しみであろうよ。だから」
 きっとウェールズは顔を上げる。
「だから私は名誉ある死を選ぶ。その事が、愛する者を守る事になるのならば、躊躇無く地獄の旅路へと向かおう。それが、私に出来るたった一つの事なのだから」
 ああ、済みません姫さま。私には、この覚悟を止める権利などありません。
 ルイズは、今も彼の無事を願うであろう友人へ謝罪の念を送る。これ程の覚悟を曲げてまで、無理に亡命を請うなんて、出来るはずが無かった。ならばわたしは見届けよう。ルイズ・フランソワーズが、その勇敢な生き様を、見られる限り目に納めて行こう、そう決意した。せめて、愛する人が高潔に生きて死んだという事を、友人に伝えてあげたいと、そう思ったから。
 ルイズの眼光に感じ入るものがあったのか、再び太陽のような笑顔を顔に浮かべると陽気にウェールズは言葉を続けた。
「申し訳ない、場を湿らせてしまったね。まだまだ祝宴は続く。どうか最後まで楽しんでいって欲しい」
 明るく振舞う後ろ姿が、やけに悲しいと、その時初めて思えた。どうしても、そこから目を離せない。
 ウェールズは、そのまま己の居室に戻るのだろうか、ホールを出て行く様子であった。その事にはなんら疑問の余地は無いのだが。
「あれは、子爵さま……?」
 ホールを出てゆく皇太子の後に続くように、ワルドがその後に続いてゆくのが目に入った。何か殿下に用でもあるのかしら?と小首を傾げるルイズ。
 好奇心か、それとも胸騒ぎか。
(ちょっと、後を着いていってみようかな)
 そんな考えが頭を過ぎったのは、何故なのだろうか。
 ――後にこの時の事を述懐した彼女は、こう表現している。それはきっと必然だったのだと。知らぬ間に、何かに導かれていたのだと。
 僅かな逡巡の後、ルイズはワルドの後を着いていこう、と決めたのだった。
 
 己の居室に戻ったウェールズは一人、小箱の内に密かに隠された想い人の肖像画を見つめていた。
「アン……」
 亡命。それはなんと甘美な言葉か。生きて、あのアンリエッタの下へ行く事が出来る。その事に誘惑を覚える事が、果たして罪であるだろうか? 誰しも愛する人と添い遂げたいと思う気持ちは止める事は出来まい。
 国の事も何もかも投げ出し、そうしてしまいたい。心の奥底ではそんな気持ちが渦巻き、はちきれんばかりに暴れている。
 ――だがそうすれば、きっと彼女は不幸になるだろう。
 その一念が、なんとか彼の激情を押さえつけていた。
 私は勇敢に戦い、死なねばならない。その事が、彼女の一番の幸せに繋がるのだから。欲望に流されようとする心を必死に制し、萎え欠ける闘志を必死に鼓舞させる。私はウェールズ・テューダー。アルビオン王国の皇太子だ。皆に率先して戦場に立ち、散る。それこそが王族の義務だ、と。
 物思い耽るウェールズの耳に、扉を叩く音が聞こえる。このような時分に、一体誰がやってきたのだろう。
「誰だ?」
「ワルド子爵です、殿下。お話したい事があり参上致しました」
「鍵は掛かっていない、入ってくれ」
 きい、と蝶番の軋む音と共に、するり、とワルドが部屋へと入ってきた。音も無く入ってくるその様子に、僅かな違和感を覚えるが、すぐに笑みを浮かべると喜んで客人を迎えた。
「やあワルド子爵、パーティーの方はもう良いのかい?」
「ええ、十分に楽しませて頂きました」
 ワルドもにっこりと笑い返礼する。
「先程、ミス・ヴァリエールに亡命しないかと聞かれたよ……彼女は優しいな、そして真っ直ぐだ。私の誇りを理解した上で、それでも尚問いかけてきてくれた。子爵、君は果報者だ。あのような素晴らしい才媛を妻に迎えられるのだから」
「ええ、本当に私は果報者です。彼女は実に良く出来た婚約者ですよ。なにしろ……」
 その時、ウェールズは気が付いた。僅かづつ、ワルドがこちらににじり寄ってきているのを。これは、距離を測っているのだ。何の距離か?
「彼女のお陰で、こうして貴方にまったく疑われる事無く、こんなに近付く事が出来たのですから」
 ――それは、自分を打ち倒す為に最適な距離!
 刹那に見切る事が出来たのは、彼が欠かさぬ鍛錬を行っていたからなのか、それとも僥倖であったのか。
 閃光の如く繰り出された鉄杖の突きを、ウェールズは辛くも避ける。とっさに捻った際に杖が胸を霞め、容易く上着を切り裂いた。
「ワルド子爵、一体何を!」
 怒声を上げるウェールズをまったく気にも留めず、ふむ、と一言不思議そうに唸るワルド。
「今の間合いならば必中かと思ったのですがね……これは箱入りぼんぼんの王子さまと判断したのは誤りでしたかな」
 先程までの笑みはとうに消えうせ、今のワルドの顔はまるで能面のように冷たく、感情を感じさせないものに変貌していた。鋭い眼光は、ただ脇目も振らずウェールズを射抜いていた。
「では本気で行かせて貰いましょう。この「閃光」のワルド、獲物を逃した事が無いのが自慢の一つでしてね!」
 驚異的な詠唱速度で――間違いなく、熟達した高速呪法――スペルを唱えたワルドの杖が一閃される。同時に繰り出されるのは足元を狙ったエア・カッター。ウェールズはそれを素早く横に飛んで交わすが、まるで行動を知っていたかのように繰り出された杖の刺突が彼の胸を激しく殴打する。胸の空気を無理矢理吐き出されながら、その体は暗い廊下へと放りだされた。
 ひっ、という短い悲鳴がウェールズの耳に届く。思うように動かない首を動かすと、目に入ったのは白いドレスを来た少女の姿。
「ミス……ヴァリエール……」

 一体何が起こっているの!? ルイズの頭は激しく混乱した。
 ちょっとした悪戯心で子爵の後を着いていったら、辿り着いたのは皇太子の居室。男同士で密談でもしてるのかしら?と思っていたらいきなりドアをぶち抜いて皇太子が飛び出してきた。何がなんだか理解出来ない。
 それでも素早くウェールズの下へと駆け寄れたのは、彼女の気丈さが為せる技か。
「しっかりしてください、殿下! 一体なにが……」
 皇太子を抱きかかえながら、部屋の中を覗き込んだルイズの双眸が見開かれる。
「子爵……さま……?」
 そこに居たのは、杖を構え仁王立ちするワルドの姿だった。
 ――これではまるで、子爵さまが殿下を襲ったみたいじゃない。
 そんな事有りえない、自分にそう言い聞かせる。
「ああ僕のルイズ、こんな所を見られたくは無かったよ」
 そういうワルドの声は実に残念そうで、後悔の色を滲ませていた。
「こうなっては君まで」
 そして、その声は、今までルイズが聞いた事の無い暗い酷薄で、その瞳は、余りにも冷たくて、際限の無い恐怖を彼女の内に湧き上がらせた。
「殺してしまわなくてはならないじゃないか」
 思いを寄せる許婚から出た言葉が余りにも信じられなくて、これは夢だと言い聞かせたかったけれど。
 無情にも彼女を打ち据える冷たい杖の感触が、これが現実なのだと、悲しく告げていた。


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夜天の人◆Rein4tm63s

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