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夜天の使い魔14話

 双月の光のみが世界を照らす深い闇の中、アルビオン貴族派――彼等称する所による「レコン・キスタ」――が誇る巨艦・レキシントン号の周りを哨戒する竜騎兵達がまず最初にそれを目撃した。眼下に広がる雲間より、雷が遡るかの如く昇り行く一条の影。それはニューカッスル城より高く舞い上がり、一瞬その身を留まらせた。
 竜だ。青い体躯の、おそらく風竜。その背には人が乗っている。王党派の竜騎兵か? 戦場に於いて鍛え上げられた反応速度が、刹那の迷いも見せずにレコン・キスタの騎兵達を動かした。城に最も近い三騎が即座に竜の元へと、赤い矢の様に紅線を空に引き飛んでいった。
 
 雄大な大空の元、月光に照らされた竜の姿は幻想的な美しさを備えていた。王子様の居る城の空、浮かぶのは双月と偉大なりし竜。それはまさしく御伽噺の光景そのもの。
 最も、当人達にとってはそんな瀟洒な状況とは到底言えなかった。御伽噺も裏を見ればあっと言う間に俗世の笑い話に早変わり。
「うひぃぃぃぃぃぃぃ死ぬ死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
 一気に急加速したシルフィードの背中は阿鼻叫喚に彩られていた。顔を歪め必死に背中にしがみつくのが精一杯のルイズとキュルケ。タバサも、今回ばかりはシルフィードの首をぎゅうと抱きしめて振り落とされないように身を縋りつかせていた。
 飛んでいる当のシルフィードも必死の形相で空を駆けていた。おそらく彼女の齢200年近くの歳月の中で、これ程まで全力で飛んだ事は今の一度まで無かっただろう。この飛行は限界ぎりぎり、彼女の力の全てだった。
 時間にして、僅か三秒。しかし異常なまでに長く感じられる三秒だった。このほんの少しの時間で、両腕はじんじんと痛みを起こし、痺れたようにわなないていた。
 
 眼下には所々崩れかけ、今にも朽ちそうと思わせるニューカッスル城が見えた。その距離恐らく60メイル近く。
「ちょっと、行き過ぎたんじゃない!?」
「ごめんなさい、急に止まれなかったの!」
 本来なら城の高さすれすれまで上がり、直ぐに城内へと突入する手はずだったのだが……全力で走る人がいきなり止まれないように、急加速したシルフィードもまたその身を止める事が出来なかった。タバサやシルフィードだってその位計算に入れていたのだろうが、その飛行速度が彼女達の想定以上のものだった事は完全に誤算であった。
 何時もと変わらぬ表情に見えるタバサであったが、その内には焦りが生まれていた。その眼は既にこちらに向かう竜騎兵の姿を捉えている。数は三騎、全てが火竜。
 ――早い。
 その反応の早さに驚きを隠せない。良く訓練されており、その上実践経験がそれに拍車をかけたのだろう。逡巡の類をまったく感じさせない、実務に忠実な動きだ。はっきり言って分が悪い。万全の状態だったとしても、退けるのにどれ程の苦労が必要か。ましてや今シルフィードには自分の他に二人も乗せている。この状況での応戦は困難を極めるに違いない。

 シルフィード達が滞空していた時間は本当に極僅か、急上昇したそれよりも短いはずだ。しかし騎兵達はその僅かな時間を逃さず、牙を剥いてくる。
 次々と打ち込まれる早撃ちのファイアーボール。威力よりも速射を重視した、軍式の速読呪法。矢継ぎ早に呪文を唱え、相手を牽制し動きを制限する事を目的とした魔法の用い方だ。連なるように火弾が飛んでくる様から見て、何れもライン以上の実力とタバサは判断した。
 火弾はシルフィードの機先を制するように、実に見事に打ち込まれていた。一つの火弾を避ければ次の火弾が鼻先を掠める。まるで火の檻のように、それはシルフィードの動きを縛っていた。
 不味い。巧みな連携の前に。タバサの焦燥が助長される。おそらく動きを制限しその場に釘付けにさせて、その隙に一人が大火力の一撃で沈めに来るつもりだ。徐々に徐々に飛行範囲を制限させるかのような火線の引き方がそれを示していた。
「不味いんじゃない、これ」
 キュルケの顔にも不安が浮かぶ。このように一糸乱れぬ連携で魔法を運用する相手を見るのは初めての事だった。自分達が何気なく用いているものが、使い手次第でこんなにも恐ろしいものに変貌するのだと彼女は初めて知る事になった。

 ――もう直ぐ、来る。
 一人が詠唱に専念しているのが見てとれた。僅かに弾幕が緩むが、数は減っても巧みに張り巡らされた火線が未だシルフィードの動きを縛り付けていて、逃げることは叶わない。
「攻撃を防ぐから、反撃お願い」
 タバサの思惑を汲み取ったのか、キュルケは無言で頷いた。相手の全力の一撃を受け止めて、その隙にカウンターを入れて撃破、隙を作り一気にニューカッスル城に突入しようという腹積もりらしい、そうキュルケは受け取った。
 襲い来る数多の火弾の中、相手の呼吸の際を見極めようとタバサは神経を集中させる。僅かでもその瞬間を違えれば、全員が黒焦げだ。相手は必中を狙ってくるはず。その瞬間を、読む。
 微妙にテンポの違う二人の射手の弾丸、そのタイミングが合う刹那――そう、まるでその場に縫い付けるかのように撃たれた――タバサの戦闘経験が警鐘を鳴らすこの瞬間、僅かな熱感を頼りに反射的に杖を以って敵を指し示す。第三の射手、止めの担い手の位置。それは、遥か天空の彼方、自分達の頭上!
 少女から放たれた暴風――ウィンド・ブレイク―は見事強大な火球を打ち消した。そして、そのかき消された炎を食らい尽すように、煌々と燃え盛る、さらに大きな火球が射手を襲った。大技を繰り出し体勢を整える事に専念していた哀れな竜騎兵は、叫び声を上げる間も無く身を焼き尽くされ、アルビオンの夜闇へと落ちていった。
 タバサとキュルケ、二人の息の合い方は、熟練の兵士達を相手にしても揺るぐ事の無いものであった。まさに阿吽の呼吸で、見事敵を討ち取った。
 しかしそれを喜んでいる余裕は無い。まだ竜騎兵は二騎残っている。それにこのまままごついていては増援が来るかもしれない。一刻も早くニューカッスル城へ降り立たなければならなかった。
 
 一騎数を減らしたとは言え、未だ攻撃は苛烈であった。大分魔法を乱発しているのに、それが途切れる気配が無い。なんとか隙を突いて降下しようとしても確実に機先を制してくる。
 ルイズは状況に焦れて来た。まごついているという事よりも、己が何も出来ないというその事実に、だ。土メイジである彼女の本領は大地でなければ発揮出来ない。今彼女が存在するのは空中、そこは地では無く風の領域。彼女の力のまったく及ばぬ場所であった。己の無力感にぎりり、と唇をかみ締める。せめて、あと少し。あと10メイルで良いから降下してくれさえすれば。そうすれば、なんとか援護のしようもある。今の高さ――城より約40メイル――は余りにも遠すぎた。もしフーケ程大きなゴーレムが作れるなら違ったのだろうが、彼女の作り出すゴーレムは10メイル強が少々であり、まったく手の打ちようが無い。
 
 このまま膠着状態が続くか、と思われた時、救いは以外な所から現れた。
 ニューカッスル城から放たれる矢、そして魔法。それらが竜騎兵達を翻弄し、連携を崩す。
「これって、もしかして援護してくれてるって事かしら?」
 意外な展開にキュルケは驚きを隠せなかった。
「そうみたい」
 ルイズもそれは同様だ。どうやら王党派の人々はルイズ達を敵とは見なしていないようだ。次々放たれる攻撃は何れも二騎の竜騎兵のみを狙っている。
「とにかく、これはチャンスよ! 今の内に!」
 攻撃の手は明らかに緩んでいる。シルフィードは体勢を整えると、一直線に降下した。狙いは城の中央にある広い庭だ。
「うひぃぃぃぃあああああぁぁぁぁぁ!?」
 その激しい速度に再び悲鳴を上げる事になるルイズとキュルケ。激しく上がったり下がったり、こんな経験はもう二度としたくない。今彼女達の気持ちは一つだった。

 大地を揺るがせ、シルフィードはなんとか地に降り立った。外壁はぼろぼろで今にも排城になるのでは無いかと思わせるニューカッスル城であったが、中に存在するこの庭園は立派に手入れされており、ここが人の生活する場であるという事を示していた。
 上空を飛び回っていた竜騎兵の内一騎は激しい攻撃の前に打ち落とされ、一騎はなんとか逃げ帰ったようだ。激しい空中戦が繰り広げられていたニューカッスル城の夜空も、やっと平穏を取り戻したようだった。
 平穏を取り戻したのは一行の心もまた同様であった。おそらく岬の下の岩陰から躍り出て三分と掛かっては居ないだろうが、一時間はぶっ続けで戦っていたのではないか、と錯覚してしまう程に長い時間だったとルイズには感じられた。
 落ち着いて冷静さを取り戻したところで、さてどうするかという疑問が彼女の内に浮かんだ。どうやら敵とは見なされていないが、今の自分達は夜半に竜で乗り付けてきた不審人物に相違ない。これからなんとか弁明して、自分達がトリステインの王女の使いで来たものだと納得させなければならないだろう。いきなり牢に連れて行かれたりしたら眼も当てられないのだから。
 
 しかしそんな心配も杞憂に終わった。てっきり兵に回りを囲まれるか、と思っていたのだが、出てきたのは年老いたメイジと、その護衛と思われる兵士の二人だけ。しかもその雰囲気は明らかにこちらを警戒していない。
「ようこそ、トリステインの勇敢な客人方。私めは皇太子殿下の侍従を勤めさせて頂いておりまするパリーと申します。貴方方が如何様な用件で参られたのかは存じませぬが、まずは夜も遅い事ですし、ゆっくり休養を取られてからお話を伺いたいと存じ上げます。さあ、まずは中へ!」
 ルイズとキュルケは思わず顔を見合わせた。どういう訳か知らないがすっかり面が割れている。
「一刻も早く皇太子さまにお目通りを願いたい所だけど……確かにこんな夜分遅くにそれを申し出るのも不躾よね」
「それに今日はもうクタクタよ……あたしもう倒れちゃいそう」
 ルイズもキュルケと同感だった。今日はなんとも激しい一日だった。冒険小説の一幕のように、波乱万丈で危険と刺激に満ち溢れた旅路。小さな男の子ならば喜びそうな話だが、当事者にしてみれば二度と勘弁と言いたくなる様な行程であった。
 ならばここは有り難く先方の申し出を受けよう。ルイズは淑女然として笑みを浮かべた。
「お心遣い、感謝致します。わたしはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、トリステインのアンリエッタ王女殿下より大使としてウェールズ皇太子殿下への密書と言伝をお持ち致しました」
「なるほど、あのヴァリエール家の……」
 老メイジはなるほど、と合点がいった様に肯く。
「殿下には私めから話を通しておきましょう。まずはゆっくり、お休みなさいませ」

 それから城の客室に案内されたルイズは、着替えもする事を忘れてベッドに突っ伏すと、瞬く間に眠りに落ちた。疲労は既に彼女の限界を超えていたのだ。眠りに落ちようとする自助努力すら必要としないまま、肌がベッドの柔らかな感触を覚えた瞬間、彼女の意識は闇へと落ちていった。
 泥のように眠ったルイズが眼を覚ましたのは日が昇り始めた頃、何時もの起床時間であった。習慣というものは恐ろしい。どんなに疲労してようがお構いなしに眼を覚ましてくれる。
 寝起きにまずした事は、服を着たまま寝ちゃうなんて、と己を省みる事だった。なんてはしたない。薄汚れた格好のまま横になったので、白いシーツがやけに汚れているのもまた気恥ずかしかった。
 体を軽く動かすと、流石にまだ疲労が残っているのか、体の所々に倦怠感を感じる。流石にあれだけ立ち回ったのだ、次の日は元気溌剌、とはいかないだろう。
 椅子に腰掛け、そのまま暫くぼーっとしていた。昨日一日の出来事は思い返すに凄い。きっと一生に一度の大冒険だろう。椅子をぐらぐらと傾けながらそう思った。
 どれ程そうやっていたのか判らないが、その内侍女が朝食を運んできた。香ばしい香りが彼女の食欲をそそる。
(そういえば、昨日の夜は何も食べて無かったのよね)
 なにしろ夕食を準備する暇など無いままニューカッスルまで飛び続けたのだ。当然飲まず食わずで進んできたのだったからして、現在のルイズはそれはもう筆舌しがたい程の空腹感に襲われていた。今のルイズの心情を一言で言うなら、「もう辛抱堪らん! 堪らーん!」。侍女が部屋を出た途端、淑女の皮で押さえ込んでいた食欲が限界を超えあふれ出した。ひたすらがっつき、貪り、あっという間に朝食を平らげてしまった。自分でも今の姿は人に見せられなかったな、と思うルイズ。

 朝食の後、なんとか身支度を整えそれなり見られるような格好になるように苦心した頃、侍女がルイズを客室へと案内するべく現れた。どうやらやっと皇太子にお目通りが叶うらしい。
 石造りの立派な客室では、既にキュルケとタバサがルイズよりも先に到着していた。
「おはようヴァリエール。……酷い顔よ、あんた」
「おはようツェルプストー。多分それはあんただって負けてないわ」
 お互いの顔には疲労が色濃く残っているのが一目で見て取れた。唯一の例外はタバサで、あれだけの事があったにも関わらずまるで何時もと変わりない風貌を見せていた。まったく見た目に寄らず体力あるわねえ、と素直に感動した。
 逃げ落ちた先とは言え、王族の住まう城の客室らしく、調度品はどれも立派なものだった。こういった所で手を抜けば体面にも関わる。恐らく戦火の中必死に調達したのだろう、使われるかどうかも判らないのに。しかし今こうやって自分達がここを訪れたのだから、その苦労も無駄ではなかったのだろう、そんなとりとめの無い思考がルイズの頭に浮かんだ。
 がちゃり、とドアの開く音が思考の淵より現実へと意識を回帰させた。入ってくるのは、金髪の見目麗しき青年だった。身形はこの城で見た誰よりも立派で、雰囲気は気品に満ち溢れていた。間違いない、この方こそ――。
 反射的にルイズは座っていたソファから立ち上がる。その様を見て苦笑しながらも、青年は「そんなに畏まらなくても良いんだ、楽にしてくれないか」と柔らかに言葉を紡いだ。
「お初にお目にかかる。私がアルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」
 端整に整った風貌、甘い声、どれもが市井で噂されるような王子様の姿そのものだった。きっとどんな身形であろうと、どのような場所に居ようと、彼が自分を皇太子だと名乗ったならそれを信じてしまうだろうと、そう思わせるような傑物であった。
「さて、ラ・ヴァリエール嬢。君は昨日パリーにトリステイン王女からの使いだと名乗ったそうだが……どうやら真実そのようだね、こうして見えたなら一目で判ったよ」
「何故です? 皇太子さま」
「その『水のルビー』さ」
 ウェールズはルイズの指に輝く青いルビーを指し示した。
 これは昨日、荷物を捨てる際に何処にも入れる場所が無かったので仕方なしに指に通しておいたものだった。
「そのトリステイン王家に伝わりしそのルビーを持っているのならば、疑いようも無い。私はその実物を目にした事もあるからね、一目で判ったよ」
 そう言いながら、ウェールズは己の指に嵌められた緑色の――それは色意外はまさに水のルビーと同じものに見えた――指輪を外すと、静かにルイズに嵌められた水のルビーへと近づけてゆく。距離を縮めた二つの宝石は共鳴しあい、その間に七色の美しい虹を映し出した。
「この指輪は『風のルビー』、アルビオン王家に伝わる秘石さ。こうして水と風は虹を作る、これが双方の王家の友愛の証なのだよ。この虹がかかると言う事は、間違いなくその指輪は水のルビーであり、その持ち主であるならば王女の信頼の篤いものに違いない。そうだろう?」
 どうやらルイズは王子の信頼を得るのに成功したようだった。この水のルビーを持っているというのは、想像以上に効果があったようだ。姫さまはこの事を見越してわたしに指輪を預けたのだろうか、と関心した。
「さて、早速で済まないが王女より預かった密書を拝見したい」
 ルイズは肯くと、懐より王女から預かった手紙を差し出す。ウェールズはそれを受け取ると封を破り、素早く一読した。その表情が一瞬陰りを帯びたように見えたのは、果たしてルイズの錯覚だったのだろうか。
「……了解した、件の物は私の居室に保管されている。済まぬが、一緒にそこまでご足労願えないだろうか?」
「はい、皇太子さま」
 部屋を出るウェールズの後を、そのままルイズは追おうとする。
「あんた達は着いてこないの?」
 その言葉に、キュルケは肩を竦めながら答えた。
「王家の問題とかいうのには首を突っ込みたく無いわ……あたし、外国人だし」
 それはタバサも同様であるらしい。二人はまったく席を立つ素振りを見せなかった。
「あたしたちは、ここで待ってるわ」
 そう言って優雅に紅茶を飲む。すっかりくつろいだ様は動きたくない、という意思表示に見えた。
「判った。すぐに戻ってくるから、失礼の無いようにね」
「はいはい」

 部屋に二人を残し、ルイズは皇太子の後を着いて行く。どうやら貴族派の攻撃が始まったらしく、石造りの廊下に敵の巨艦が放つ大砲の音が木霊する。こんな音を一日中聞いていたら気が狂うのではないか、と思わずにはいられない。この城の人々は一体何日この音を聞き続けてきたのだろうか。
 ウェールズ皇太子の居室は城でも最も高い天守の一角にあった。階段を上り、やっと辿り着いたそこへ導かれるままにルイズは足を勧めた。
 その部屋はとても皇太子が住まうとは思えない程質素なものであった。先程の客室は豪華に飾り立てられ調度品も一流、流石王家と思わせるものがあったが、この部屋は粗末なベッドとテーブルに椅子が一そろい、壁にはタペストリが一つ架けられているだけと簡素な作りで、そうと言われなければとても皇太子の居室だとは判らないだろう。
 
 ウェールズは椅子に腰掛けると、机の引き出しを開き、小さな箱を取り出した。部屋の質素さとは相反するような、宝石で飾り立てられた煌びやかな箱だった。ウェールズは首からネックレスを外すと、その先に付けられた鍵を小箱の鍵穴に差し込んだ。かちり、という微かな音と共に錠が開けられた。その箱の内側には小さな肖像画―美しく着飾った、ドレス姿のアンリエッタ王女の姿―が貼り付けられており、その内に収められていたのは一通の手紙であった。
 皇太子はその手紙を丁寧に、それこそ貴人を扱うかのように細心の注意を払い取り出した。封からしてぼろぼろに破れたその手紙は、中に納められたものもまた同様であるらしく、何度も読み返されたものなのだろうと容易に想像出来た。
「これが姫から頂いた手紙だ。この通り、返却致す」
「ありがとうございます」
 王子の手から差し出された手紙を、ルイズは恭しく礼をしながら受け取った。
 二人の間にしばし、沈黙が流れる。部屋に響くのは、耳障りな大砲の音のみであった。
「……結婚するのだな。あの愛らしいアンリエッタが、私の可愛い従姉妹が」
 やがてぽつり、と言葉を零すようにウェールズが口を開いた。
「見よ、あの外に浮かぶ忌々しいフネを」
 そういって視線で外を指し示す。その先にあったのは、今もこの城に砲撃を加える巨艦の姿であった。
「あれは『ロイヤル・ソヴリン』号。かつてこのハルケギニアに名を轟かすアルビオンの本国艦隊旗艦であったフネだ。両舷に備えられた砲門は計108、数多くの竜騎兵も搭載可能なこのフネは間違いなく最強の戦艦であろうよ。しかし今や敵の手に落ち、「レキシントン」号と名を変え、我々を脅かす悪夢となって立ちふさがっている」
 そこまで一気に話すと、一息嘆息する。
「あのロイヤル・ソヴリンに乗って、アンと二人大空を往く。それがささやかな私の夢だった……しかし所詮夢は儚いものだ」
 砲撃音は止む事無く、ひたすら城壁を撃ち続けた。響き渡るそれはだんだん終末の訪れを告げる鐘の音のようにも聞こえてくる。
「夢は……叶わぬから夢なのだ」
 再び沈黙が二人の間を支配する。鎮痛な面持ちの皇太子に、ルイズは語りかける言葉を持たなかった。
 しかしやがてルイズの脳裏に天恵の如くある考えが首をもたげる。もしその推論が真実ならば、どうしても、聞いておかなければならない……事の、真偽を。ルイズは意を決すると深々と一礼し、口を開いた。
「無礼を承知で、敢えてご質問させて頂きます」
 窓の外を見やっていたウェールズの瞳が、ルイズを射抜く。ルイズの様子を感じ取り、彼もまた身を固くしていた。
「この任務をわたくしに仰せ付けられた際の姫様のご様子は、尋常では御座いませんでした。それは、とても大切な人を案じるかのような……。そしてその小箱の内側に張られた姫様の肖像画、殿下の物憂げなご様子。もしや、姫様と殿下は……」
「そう、その通りだよミス・ヴァリエール。私とアンリエッタは恋仲であったのだ」
 やはり、そうであったのか。ルイズは腑に落ちた。そうであるとするならば、今受け取った手紙が何であるかなど問うまでも無いだろう。
「その手紙は恋文だ。私の始祖の名で永遠の愛を誓うと、そう書いてある。もしこれがゲルマニア皇室に渡ったならば、婚姻は破談となってしまうだろう。そうなれば二国の同盟は取り消され、トリステインは一国にてあの卑劣なる貴族派と戦わなければならなくなる」
 始祖の名に誓う愛は、婚姻の際に用いられなければならない。もしこの手紙が白日の下に晒されたなら、アンリエッタは重婚の罪を犯そうとしている事になり、当然の如く婚姻は破談となるだろう。
「我が望みは、アンの幸せ。それを妨げる事は本位では無い。これで良かったのだよ」
 本当にそうなのか、そう問いかける前に、まるで機先を制するようにさらに皇太子は言葉を続けた。
「それよりも、君に話があるのだ。お手数をかけるが、もうちょっとだけ付き合ってはくれないだろうか」

 城の最も高い天守から一転、次に案内されたのは城の地下だった。長い長い階段を抜けた先、そこに広がる鍾乳洞の中に、それはあった。
「これは……!」
 洞窟の中に建造された港が、そこにはあった。真白な発光性のコケに覆われたこの場所はまるで昼間のように明るく、とても屋内とは思えなかった。
「これがニューカッスル城が誇る秘密港だ。ここの存在は、貴族派の連中も知りはしない」
 港に停泊するフネは二隻。どちらもルイズの知る物であった事が、次の驚きを生んだ。
「あのフネは、空賊船じゃありませんか!」
 ルイズの驚愕に、ウェールズはばつが悪そうに苦笑いする。
「そう、紛うこと無き空賊船さ」
 そこに鎮座するのは、昨日遭遇した黒い海賊船の姿だった。隣には、ルイズ達が乗ってきたフネも係留されている。
「では、もしかして昨日わたくしたちが出会った空賊は」
「その通り。我々だったと言う事さ」
 あまりの展開に言葉も出ない。まさかアルビオンの王族が空賊に身をやつすなどとは! そういえば、そんな冗談を昨日キュルケが言っていたなあとふと思い出すルイズ。まさか本当にそうだったなんてね、と彼女もまた苦笑いをした。
「堂々と王軍だと旗を掲げれば、あっという間に撃沈されてしまうからね……戦も奇麗事だけでやっていける訳では無い。それに、我々はどうしてもフネを調達する必要があったのだ。それで已む無く昨日のような凶事に及んだという訳なのだよ。四六時中略奪を繰り返しているのではない」
「一体どうしてなのですか?」
「明日の正午より、敵軍の総攻撃が始まる。律儀に連中はそう伝えてきた。舐めた事に一週間も前に、だ。我らアルビオン貴族一同、既に死ぬ覚悟は終えている。あとは名に恥じぬよう戦い抜き、華々しく散るのみ」
 その瞳には覚悟があった。何物にも動かせぬ、揺ぎ無き覚悟。
「しかしそんな我らとて、女子供や平民を巻き添えにする事は出来ぬ。だが我らがフネは最早あのイーグル号一隻のみ。もしあのフネで脱出しようとすれば、あっという間にあのレキシントン号に撃墜されてしまうだろう。どうしても、このイーグル号が囮となって連中をひきつけ、その隙に他のフネで皆を脱出させなくてはならなかった。その為に、どうしてもフネがもう一隻必要だったのだ」
「殿下は……その囮を自らが買って出るおつもりなのですね」
「ああ、そうだ」
 些かの逡巡もなく、そう答えた。ルイズはウェールズの覚悟の程を知った。
「私が率先してやらねば、誰がやると言うのか。民を巻き添えにした暗君などという誹りを受けたのではおちおちのんきに死んですら居られないよ」
「名誉に殉じる、と」
「例え死すとも、我らが勇敢な行いはきっと人々の中に残るだろう。それを残さずして死ぬのは、何より耐え難い屈辱だ、そうは思わないか、ミス・ヴァリエール?」
 それは、誇りに生きる彼女にとって、余りにも判りすぎる話だった。誰よりも誇り高く、名誉を貫き生きる。彼女の生き方と同じ道が、ここにあった。
 しかし、どうしても浮かんでしまうのだ。ウェールズの死を知ったアンリエッタが泣き伏せる顔が。きっと、愛する人の死を知った彼女は泣くのだろう。たった一人、誰にも知られないように泣くのだろう。それを考える時、どうしてもルイズの心は乱れ、激しい痛みを引き起こすのだ。
「判ります、とても良く判ります殿下」
 ルイズは思わず顔を伏せた。耐え難い激情のうねりが身を支配するのを、止める事が出来なかった。
「でも……それでもわたしは……」
 小さく体を振るわせるルイズの肩に、ウェールズの手が乗せられる。
「君の言いたい事は判る。しかし、こうするのが一番良いのだ。愛するからこそ、こうするしか無いのだ。だが一言だけ礼を言わせてくれ。たった一人でも、私たちを祝福してくれる、その事に。ありがとう、ミス・ヴァリエール」
 顔を上げたルイズの双眸には、涙は無かった。泣く事は出来ない。それはきっとウェールズの覚悟を穢す事になる。それだけは、出来なかった。
 
「話というのはね、その脱出の事なのだ。拿捕した「マリー・ガラント」号……そう、君の乗ってきたフネだ、このフネを、護衛して欲しいのだよ。無事に、ラ・ロシェールまでね。我々は全員外の貴族派どもとの戦いに打って出る。故にあのフネの護衛に裂ける人員は無いのだよ。だからお願いしたい。君達三人が非常に優秀なメイジという事は、身を持って良く知っている。君達が一緒にフネに乗ってくれるなら、きっと皆無事に辿り着く事が出来るだろう。このウェールズ・テューダー今生最後の願い、どうか引き受けては貰えないだろうか?」
 考えるまでも無かった。そうまで言われて、誰が断れよう。
「謹んで、その任務お受け致します。必ずや、全ての人を無事にラ・ロシェールへと送り届けます」
「本当に、感謝するよ。君がこうして今この場に居る事に、最大級の感謝を始祖に捧げよう」
 ウェールズの顔は、これで重荷が一つ降りた、と言うように晴れ晴れとしていた。民の心配が無くなった今、最後の仕事に専念できるからだ。
「やはり、君達は素晴らしい貴族だ。聞いていた通りだな」
「聞いていた?」
 その言葉に、ルイズは疑問を覚える。一体どのようにして自分達の事を聞いたと言うのか?
「随分と不思議そうな顔をしているね。我々が君達の事を聞いたのは、あの「マリー・ガラント」号の乗組員たちからさ。この港まで曳航した後、身分を明かし正式に協力を要請したんだ。その時に、君達の話が出てね。皆口をそろえて誉めそやしていたよ。「あんなに立派な貴族は見たことが無い」とね。あのように、心底貴族を敬う眼差しを、私は久しぶりに見た」
 随分と持ち上げられているわね、とルイズは面食らった。そこまで褒めるような事をしたつもりは無い。ただ己の矜持のまま、行動しただけだ。それの何処に褒める要素があるのだろう? 彼女は首を傾げた。
「君達がここを目指しているだろうことも勿論聞いた。だからこの城の上空に君達が現れた時、迅速に補佐する事も出来たという訳なのだ」
 成る程、と昨日の夜の出来事にようやく合点が言った。パリーが自分達を信用していたのも、予め話を聞いていたからなのか。不思議な巡り合わせが作用したものだと、人の縁というものの不可思議さを知るルイズであった。

「そうだ、忘れてはいけない。もう一人、トリステインからの客人がこの城に居るのだよ。彼も一緒に連れて行っては貰えないだろうか」
「もう一人、ですか?」
「昨日の昼過ぎ、貴族派の連中から襲われてこの城に逃げ延びてきた所を保護したのだ。大分怪我をしていたから今は安静にして貰っている。どうやら彼も何か重大な用件で私を訪ねてきたらしいがね、何かを聞き出す前に意識を失ってしまったのだよ。今朝目を醒ましたら話を聞こうかとも思っていたのだが……良かったら、君が話を聞いてきてはくれないだろうか? 同国人の方が、何かと話をし易いだろう」
 それを聞いて、ふとアンリエッタの言葉が反芻される。
 ――先に信頼の置ける者を使者として向かわせたのですが、まったく音沙汰もなく……。
 確かにそう言っていた。もしかして、その人物なのではないだろうか。そうであろうとなかろうと、今や落ちようとしている城に置いていくなんて真似は出来はしないし、とりあえず話をしてみよう、そう思った。
 
 一方その頃、キュルケ達は暇を持て余していた。出てくる菓子も紅茶も美味であるが、食べるだけではすぐ飽きる。何か良い暇潰しは無いものか、と頭を悩ませていた。
 タバサも本を持ち込んでいなかった所為か手持ち無沙汰であるようで、ぼーっとしながらひたすら運ばれてきた菓子を口に詰め込んでいた。あまりの食べっぷりに侍女がやや引きつった笑みを浮かべていたようだが、まったく気にせずひたすら食べていた。外からは、定期的に激しい砲撃音が聞こえてくる。まったく、うるさいくて堪らないわ、とキュルケはうんざりする思いだった。
「いい加減暇ね……どこか散歩にでも行こうかしら」
 すっくと立ち上がるキュルケ。もう大分長い時間待たされたのだ、こうやって気晴らしに行くのも不可抗力よ不可抗力、そう自分に言い訳した。
「タバサも一緒にどう? 流石にこうやってるのも飽きてきたでしょ」
「美味しい」
 食べる手を緩めず、そう答えるタバサ。どうやら、お菓子を食べ続けたいらしい。確かにどれもこれも美味なものばかり出てきていた。食べる事が趣味の一環とすら言えるタバサにとってみれば、天国のような状況だろう。
「判ったわ、それじゃああなたはここでヴァリエールを待ってて。あたしは適当に一回りしたら部屋に戻ってるから」
 一人、客室を後にする。まずは外の空気でも吸いましょうか、とキュルケは中庭に足を向ける事にした。
 
 昨日保護された者は医務室で治療を受けて、そのまま眠っているという話だ。どうやら今朝方目を醒ましたようだが、まだ詳しい話は何も聞いていない、そうウェールズ皇太子は語っていた。
 一体どのような人物なのだろう。たった一人、王女から密命を授かる程の人物であるからして、信頼篤く優秀な人材が選ばれたのだろう、とルイズは想像した。
 従卒に案内され、彼の人物が居る部屋に辿り着く事が出来た。扉を軽くこんこん、と叩きお伺いを立てる。「どうぞ」と促す声は低い男性のものであった。ゆっくりとドアを開け、部屋へと足を踏み入れたルイズは、ベッドに横たわる人物の顔を見て思わず驚きに身を固まらせた。
 相手もまた、ルイズの顔を見て驚いたような表情を見せる。目を見開き、驚きを隠せないのが良く伝わってくる。
 二人は既知の間柄だった。それもただの知り合いでは無い。
「わ……ワルドさま……」
 自然と声が震える。まさかこんな所で出会うなんて、想像すらしていなかったからだ。
「ルイズ、ルイズ・フランソワーズなのか!?」
 男の声もまた、驚愕に満ちていた。
 ベッドに横たわる人物の名は、ジャン・ジャック・フランシス・ワルド。
 ――ルイズ・フランソワーズの許婚その人であった。


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by: * 2008/06/24 16:43 * [ 編集] | page top↑

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