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夜天の使い魔29話

 それは、シャルロットという一人の少女の身に降りかかった、悲しみの物語――。

 先代ガリア王の次男、オルレアン公シャルルは幼い頃より才覚著しく、齢が二桁になる頃には大人と肩を並べる程の魔法を用い、口を開けばあらゆる知識が飛び出す、才というものがそのまま人の形を為して生まれてきたかのような男であった。また見目も麗しく、性格は温和であり自然と人を惹き付ける魅力に溢れていた。
 ――まさに王になるべくして生まれてきたに違いない。
 人々は皆彼の事をそう誉めそやした。
 彼は優しく美しい妻を娶り、やがて子を儲けた。それこそがオルレアン公が一子、シャルロットである。すくすくと育った彼女は母譲りの美しさと父譲りの聡明さを早くから開花させ、きっとこの子も父親のように素晴らしい人になるに違いない、と皆が予感していた。

「父さま! 父さま! 見て、可愛いお人形でしょ? 母さまからの贈り物よ!」
 花々で美しく彩られたオルレアン邸の庭園を、少女はひた走る。肩まで伸びた艶やかな青髪をなびかせ、満面の笑みを浮かべ、向かうは大好きな父の元だ。そんな彼女をいとおしそうに迎えるシャルル。
「ほら、素敵な女の子でしょ?」
 そう言ってシャルロットが差し出したのは一体の人形であった。少女の形を模した、決して立派とは言えない人形。それは王族の娘が持つには不釣合いなものであったかもしれない。だが、この人形は他のどの人形よりも、きっとあらゆる富を尽して作らせた人形よりも価値があるとシャルルは知っていた。これは母が子の為に一生懸命になって選んだものなのだから。そこには子を思う母の気持ちが籠められている。これ以上に価値があるものなど、有りはしない。
「本当に可愛らしいお嬢さんだ、まるでシャルロットそっくりだね」
 娘の笑顔に釣られるように、彼もまた笑う。
「それで、このお嬢さんのお名前はなんと言うんだい?」
「まだ付けてないわ……なにが良いかしら」
 うーん、とシャルロットは考えを巡らす。暫し黙り込んで思案を続けていた彼女だが、やがて顔を輝かせ言葉を放つ。
「タバサ。そう、タバサが良いわ。この間読んだご本に出てきた魔法人形の名前よ。素敵でしょ?」
 今日からあなたはタバサよ、と人形を嬉しそうに掲げる様を、彼女の母はカフェテラスより見守っていた。
「喜んで貰えて、良かったわ」
 彼女が娘への贈り物に人形を選んだのは、忙しく家を空ける事が多く寂しい思いをさせている、という思いからだった。彼等は王族に名を連ねる者、その位に見合う責を担って生きている。故に幾ら娘と共に居たいと願おうと、中々叶うものでは無い。その寂寥感を少しでも和らげてあげたいという思いが、そこには籠められていた。
 忙しい中時間を作り、身を偽り市井へと赴いて自らの手で選んだ人形。それはもしかしたら彼女自身の移し身という意味もあったのかもしれない。母と逢えぬ寂しさを子が埋められるようにという願いと共に、また自らが子と共に居られぬ寂しさを人形に託し己の代わりとして。
「あの子はお転婆だから、少し不安だったのだけれど」
 男勝り、とは言わないが、シャルロットは快活で活動的な少女であった。部屋に篭って女の子らしい遊びをするよりも太陽の下元気一杯に野原を駆けるのを好むような子供であった。そういった面を持つ一方、時には読書に耽り一日を過ごす事もある、中々に風変わりとも言える趣味をしていた。そんな彼女が人形という普通の少女が好むようなものを喜んでくれるかどうか、少し不安だったのだが、どうやらそれは杞憂で済んだようた。
「それはそうで御座いましょう」
 そう言を継ぐのは傍らに侍る従僕、ペルスランであった。初老に差し掛かった頃合であるはずだが、まるでそれを感じさせぬようぴしっとした姿勢で石像のように傍らに侍る様は、まさに人々が思い浮かべるような理想的な執事の姿であった。
「奥様が自ら選ばれた贈り物、どうして喜ばぬ道理がありましょう」
 長くオルレアン家に仕え、またシャルロットが生まれた時より彼女をずっと見守ってきた彼には、今の少女の喜びようが如何程のものか良く解かっていた。このようにはしゃぎ回る姿は、ペルスランの記憶には無い。あの人形はきっと彼女一生の宝となるに違いない、と彼は思った。

 この時、間違いなく彼等は幸せであった。そしてその幸せが永遠であると、信じていた。ペルスランもまたそれを疑う事は無かったが――それは余りにも脆く崩れ去った。

 五年前。
 先代のガリア王が崩御したのは、余りにも唐突な出来事であった。老齢ではあったがまだまだ壮健な様相であり、あと十年は代替わりが無いだろうと言われていたのだが、まるで悪魔に魂を刈り取られたかのように呆気なく、ハルケギニア随一の大国の王は始祖の下へと旅立った。
 この時、国内の者は愚か、諸外国の者達ですら、次の王はシャルルだと確信していた。
 先代ガリア王には二人の子が居た。一人は言うまでも無くシャルル。才気溢れたガリアの王子。もう一人は彼の兄、ジョゼフ。彼の名もある意味シャルルに負けず劣らず有名であった。曰く、無能のジョゼフと。弟に比べ何もかもが劣る、愚鈍な兄。魔法すら使えぬというのが専らの噂で、一日中享楽に耽る無能者というのが市井の風評であった。この二人を比べた時、どちらがより王に相応しいか等赤子でも解かる、そう皆が思っていたのだが――。

「次の王位には兄さんが着く事になったよ」
 その言葉をシャルルから聞いた時、ペルスランは驚きを隠せなかった。努めて冷静たれと己に命じたが、呆けた表情は隠せなかったようで、その様子に彼の主は苦笑を以って答えた。
「あまり驚かないで欲しいな……継承順位としても妥当であるし、何より父上自らそう言い残したんだ、君も祝福してあげて欲しい」
「ですが……」
 そう言われようと、やはりペルスランには納得がいかなかった。彼もジョゼフの事は知っている。一日中遊び歩いているような、だらしのない男だ。どう見ても王の器では無い。王は今わの際に気でも違えたのか、と思わずにはいられなかった。
「宮廷の皆は兄さんの事を悪く言うけどね、ぼくは兄さんが優れた人物である事を知っているよ。父上だって、表向きは馬鹿にしているような事を言っていたけど、その事をちゃんと知っていた。だから、これはぼくにしてみれば当然の結果なんだ。何の不思議も無い、当然の成り行きだ」
 そう言ってシャルルは笑う。そこには自分が王となり損ねた悔しさなど微塵も無い。ただ兄を祝う弟の姿だけがあった。その様子にまったく仕方の無い方だ、と少々の呆れを感じてしまうペルスランだった。ありえない程にお人好しだが、しかしそれだからこそ仕えたいと思える主なのだ。
「喪が明けたら忙しくなるぞ、きっとこの国は大きく変わるだろうからな。兄さんは、そういう力を持っている人だ」
 きっと、これからも幸せな未来が紡がれる。そう信じて止まない声だった。

 しかし皮肉な事に、そのように輝かしい未来を信じるシャルル自身の未来がまず奪われた。
 狩猟会の折、何処からか飛来した毒矢が彼の胸を貫き、その命を散らしめたのだ。周りに居た者達も必死に解毒を試みたが、スクエアクラスの水の使い手ですら不可能な程彼の毒は強く、あえなく彼の命は始祖の御許へと届けられた。
 先王の葬儀が済んで後、王宮は二つに割れていた。要は継承権争い、という奴である。次王がジョゼフとなる事に反対しシャルルを擁立する一派と、ジョゼフを擁立しようとする一派とが激しく対立し、宮廷には嵐が吹き荒れていた。シャルル本人は次王にジョゼフを推す旨を表明していたのだが、それでも宮廷の大部分の貴族達は納得しなかった。彼等は彼等なりにガリアの未来を憂い、必死に抵抗したのだろうが、その事が逆に彼等が旗印として掲げるシャルルの命を縮める結果となってしまったのだ。
 誰もが、ジョゼフの差し金だと思った。しかし王宮が総力を挙げて犯人探しに奔走したものの結局シャルルの命を奪った賊を捕まえる事は出来ず、またジョゼフが関与したという証拠などまったく、それこそ僅かに匂わせる程のものすら出てこなかった。

 そうして「無能王」ジョゼフは誕生した。誰からの祝福を受ける事無く、誰からも期待される事無く、強国の王は代替わりを果たしたのだ。

 聡明なシャルロットは、人が死ぬ、という事がどのようなことであるのか余すこと無く理解していた。しかし、その理性に感情が着いていかなかった。愛する父の骸を前に泣く事も無く、ただ呆然と立ち尽くしていた。
 きっと、眠っているだけだ、そう信じたかった。そして、温もりを確かめようとその手に触れて、理性が居たい程の告げるのだ。この冷たい血の通わぬ手は死人のものであると。怜悧に、深々と、その言葉を彼女の心を抉る。しかし、それに耳を塞いで、彼女は問いかける。
「父さま」
 返事は――無い。部屋に木霊するのは、ただ己の発した声のみ。
「父さま」
 もう一度。しかし、呼びかける声は風の中の虚ろに静かに消え行くだけだった。
 ――当然だ、死人は声を発しない。熱を発しないように、死した者は何も与える事は無い。己が尽すべきものを全て失った状態こそが死であるのだから。
 そう判断してしまえる自らが、堪らなく憎かった。そして、こんなにも深く悲しんでいるはずなのに、涙を流す事が出来ない事が、悲しかった。
 そんな娘を、母は何も言わずに抱きしめた。この悲しみが、少しでも和らぐようにと。

 その時、これ以上悲しい事などもう無いだろうと少女は思った。このような魂までも削られるような出来事が、そうそう有る物かと。しかしそんな考えを嘲笑うかのように、運命は彼女を容赦なく打ちのめした。

 目の前で母が倒れた時――既に奈落の底に深く落ち凍えていたかシャルロットの心は完全に凍りついた。
 宮廷での酒宴に呼ばれた時、それに赴く母の表情は何時に無く固かった。おそらく彼女自身も何かを予感していたのだろう。このような時期に一々宮廷に呼びつけるなど、何かを企んでいると喧伝しているようなものだったからだ。しかし、それでも母子はそこへと赴かなければならなかった。彼女達を呼びつけたのは新王であるジョゼフその人であったからだ。これに背く事は即ち翻意有り、と見なされる恐れがあった。状況は既に進むもうと退こうとどうしようもならない所まで追い込まれていたのだ。ならば、と意を決して進んだ先に待ち受けていた悲劇こそ、これだった。
 それは新王即位を祝う宴であった。振舞われる豪奢な食事と酒、口々にジョゼフを讃える言葉を発する宮廷貴族達。その中には、つい先日までシャルル派であったものも含まれていた。彼等はシャルルの人柄や能力に着いていた者ではなかった。ただ、シャルルを持ち上げておいた方が私服を肥やし易いと判断し与していただけの、欲深い者達。彼等はシャルルが死んだと見るや恥もなくジョゼフに尻尾を振り取り入ったのだ。そんな彼等を冷ややかな目で見ながらオルレアン婦人は娘と共にこの場に立つ。夫の敵――彼女はそう確信していた――を目の前に、周りは全て敵だらけ。一瞬も気を緩める事など出来そうも無かった。一体あの男は何を考えてこの場に私達を呼んだのだろう? 目的は一体何?
 疑念を抱きながら新王を睨み付ける婦人の視線の端に、娘の姿が目に入った。この祝宴の意味も深く理解しないまま、おいしそうな料理に手をつけようとしていた姿が、この場で唯一の救いのように感じられた。が、直ぐに彼女の目は驚愕に見開かれる。娘の手にした皿、それは明らかにテーブルに並べられたものとは毛色が違う。鮮やかに飾られた、子供が好みそうな動物を模して盛り付けられたそれは、少女の為に運ばれたものに違いない。
 そう、少女に食べさせる、その為だけに。
 婦人は無能王の狙いを知った。彼の狙いは他でもない、シャルロットであったのだと。シャルルが残した一粒種、それを奪い去る気なのだ。シャルルの才覚を継ぐとすら言われる彼女が生きていれば、必ずその存在を旗印に自らを脅かす一派が現れる。ならばそうなる前に踏み潰してしまおうと、そういう考えなのだろう。しかも、今この場、晴れの舞台で堂々と、誰もが目を背けぬような場所で、自らの行いを皆の目に焼き付ける気なのだ。
 今まさに、シャルロットは料理を口にしようとしている。止めるには、余りに遅すぎた。声を上げて止めるは不敬、その皿を奪い投げ捨てるもまた不敬。王自らが用意した料理を無碍に扱っては、それだけで彼等を断罪するに足りるのだ。
 ならば――。

 その時、シャルロットは何が起こったのか理解出来なかった。鮮やかな動物を形取った盛り合わせ、とても美味しそうなそれを食べようとした瞬間、母がそれを奪い、食したのだ。余りにも母に似つかわしくない行動に、彼女は戸惑い、そして――全ての力を失い、倒れ行く姿を目にした時、頭の中は白で埋め尽くされた。
 一体何が起こったのか。シャルロットは必死に縋りつく。父に続き、母まで。どうしてこのような事になってしまったのか。力なく倒れ伏す母を抱きしめながら、彼女は誰とも無く問いかけ続けた。何故、どうしてなの、と。


「お嬢様の元へと運ばれた料理には、毒が盛られていたのでございます」
 ペルスランの声には深い悲しみと、それに隠されるような静かな怒りが籠められていた。
「将来、お嬢様が王位を簒奪しに来ると、あの無能王はそう考えたのでしょう。だから幼い内に壊してしまおうと、あのような仕打ちを」
「壊す、って」
 キュルケが震えた声で問いかける。
「盛られていた毒は、人の命を奪うようなものではありませんでした。それよりも、もっと恐ろしく残酷なものでした。狂乱の妙薬……心の均衡を失わせ、狂わせてしまう邪毒。シャルル様に続いてシャルロット様まで非業の死を遂げては、悲運のオルレアン家を印象付ける事となってしまいます。それを利用して権政を脅かそうと考える者が居ないとも限らないと判断したのでしょう。公の場でお嬢様を狂わせる事により、それを理由に放逐するつもりだったのです。かつて自分に張られたような無能の烙印を以って」
 なんという仕打ちだろう。ルイズには考える事も出来なかった。人は、そこまで他者を貶めようと画策する事出来るなどと、何もかも彼女の理解を超えた世界であった。
「奥様は自らがその毒を煽る事によりお嬢様をお守りになられたのです。毒を奪うのみならず、自らがその身を差し出す事により無言にて嘆願なされたのです。どうか娘に手を出さないで欲しい、と」
 それは、何よりも深い母の愛。自らを省みぬ献身により、彼女は娘を守り抜いたのだ。
 結果、シャルロットは命を存えた。このような残酷な仕打ちを用意したジョゼフが何を以ってそのような考えに至ったのかは謎であったが――少女は命を奪われずに済んだのだった。
「ですが、お嬢様はその日より言葉と表情を失いました。あのように快活で明るかったシャルロットお嬢様が、まるで別人のように……。それも無理からぬ事でしょう。父を殺され、母を目の前で狂わされ、そこまでされてどうして平気で居られましょう」
 酷い、とキュルケの口から言葉が漏れた。自称する通り、彼女はタバサとの付き合いが深い。それだけに、少女の身に降りかかった残酷な過去に耐えかねているようだった。
 そんなキュルケの様子に、ペルスランは否定を籠めて首を振る。
「彼の無能王の仕打ちは、こんなものではおさまりませぬ。その後お嬢様は、自ら進んで王家の命に従う事を選びました。母親が守り抜いた命を、無駄に散らさぬようにと。しかしそのようなお嬢様に奴らが課したのは、さらなる地獄でありました」
 語る老僕の拳は極限までに握り締められ、際限を超えた力が震えとなって体に現れていた。何かに耐えるように瞳を閉じ、唇を噛み締める様が、彼の無念の程を痛い程に表していた。
「まずお嬢様に与えら得たのは『竜狩り』です」
 言うまでも無く、竜は強力な力を持つものである。人知を超えた強大な種。そんな竜を独力で打ち倒す、というのはそれだけで誉れを得る程の事であるのだ。それを僅か十歳の子供に命じるのは、既に死刑宣告となんら変わる事は無い。面と向かって死ね、と言っているようなものだ。
「誰もが不可能だと思われたそれを、お嬢様は見事に成し遂げられました。成し遂げ、王宮への忠誠を示し、ご自分を守られたのです。……そんなお嬢様に与えられた褒賞がなんだか、お二方にはお分かりになりますか? お嬢様に与えられたのは、シュヴァリエの称号と、かつて両親と過ごしたこの小さな屋敷のみ。そして、さらには外国へと厄介払いをしたのです。余りにも惨い、惨すぎる仕打ちで御座いましょう」
 ですが、とさらに彼は語気を強める。
「さらに許せぬのは、困難解決な汚れ仕事が国内で持ち上がると、こうしてお嬢様を呼びつけてそれを押し付ける事! 私めには解かります、あの男はこうしてお嬢様の命を弄んでいるのです。牛馬のようにこきつかいながら、どの任務で死ぬのか、何時死ぬのかとまるで遊戯をするように楽しんでいる。このような悲劇、世界の何処を探しても二つとありはしないでしょう」
 己の実力の証である、シュヴァリエの紋章。それがどうして彼女のマントに縫い付けられないのか、その訳をようやく二人は知った。
 ルイズもキュルケも、シュヴァリエの称号を下賜された時には喜んでその紋章をマントにあしらわせた。同じ学年はおろか、学院中の学生、いや教師まで含めてもシュヴァリエとなるべき勲功を上げた者等五人と居ない。まさに誉れそのものであったからだ。しかしタバサはそれを予め持っていながら、まるで隠すかのように誰にも言わずに秘匿していた。キュルケはそれを権威を傘に着ようとしない彼女の性格故だと思っていたが、真実は余りにも悲しい所にあった。
「お嬢様は今タバサと名乗っておられると、そう仰いましたね?」
 無言で少女達は肯定の意を示す。
「お嬢様の人形……『タバサ』は、今心を失われた奥様の手の中に御座います。その人形を、自らの娘だと思い込んでおられるのです」
 シャルロットは今、母の腕の中に。ならば、自分は「タバサ」になろう。タバサとは主の代わりに願いをかなえる魔法人形。その名を引き継ぎ、少女はただ一人戦う事を選んだのだ。
 二つ名のような表情の下に隠されていたのは、悲しい程に悲壮な決意であった。

 沈黙が場を支配した。何時も本を読んでいる、物静かで風変わりな少女。そんな彼女に隠されていた過去は余りにも重く、辛く、悲しい。
 ルイズは気を落ち着かせる為に一口紅茶に口をつけようと考え、ティーカップに手をかけようとして――そこでようやく、自分が震えている事に気がついた。中々カップが上手く掴めない。
 キュルケは、ただ虚空を見つめ呆けたようにしていた。彼女にとって、タバサは何より大切な友達だった。異国へと来て見つけた、本当に大切な友達。そんな彼女にこのような過去があるとは想像もしていなかった。そして何も察する事が出来なかった己の身を悔やんだ。

 沈黙の中、どれだけの時が経ったのか判らないが、やがてタバサが客間に現れた。ペルスランがその姿を認めると、主に習うかのように表情を殺したままタバサに近付いていき、懐より一通の封書を取り出した。
「王家よりの指令で御座います」
 友人からの手紙を受け取るように、なんでも無い動作でタバサはそれを受け取ると、無造作に封を切った。目を滑らせ速やかに読み終わると、了承の意を示すように軽く肯いた。
「何時頃から取り掛かられますか?」
「明日」
 ペルスランの問いに、タバサは即答する。
「畏まりました。そのように使者には取次ぎます。どうか、ご武運をお祈り致します」
 一礼をすると、老僕は部屋から出て行った。何処に居るのかまったく伺い知る事も出来ないだ、その使者とやらにタバサの意向を伝えに行ったのだろう。
 タバサは無言を貫く二人の方へと向き直ると、「ここで待ってて」と一言告げた。ちょっと用事があるから、少しだけまってて欲しい。そう言うような気安さで、まるで何でも無い事のように。
 それは言葉少ない彼女の、精一杯の気遣いだった。

 美しく手入れされた庭園を歩きながらも、その風景を楽しむ心の余裕など今のルイズには微塵も残されていなかった。先程のペルスランの話が頭にこびりついて離れない。きっとキュルケも同じような気分だろうな、と客間に残った友人の事を思い浮かべた。今頃憂鬱そうにソファに座っている事だろう。タバサは久方の帰郷で色々とやらなければならない事があるらしく、忙しく動き回っていた。その姿はとてもあのような悲劇を背負っているようには見えはしない。
「はあ……」
 思わず溜息が漏れる。もう何回目だろう。
『あまり気を滅入らせすぎるのはお体に障ります、我が主』
 主の腕の中、気遣うようなリインフォースの言葉も、今のルイズには余り慰めになりそうも無い。それ程に、知ってしまった事実は重かった。
『ガリアの王の事は噂程度にしか知らなかったんだけど、まさかここまで最悪な性格した奴だとは思わなかったわ。無能無能言われすぎて性格歪んじゃったのかしらね』
 そう冗談めかして言ってみるものの、やはり心は静まらない。ペルスランよりタバサの過去を聞かされてから、彼女の心は昂り続けていた。タバサと、その家族の命も尊厳も陵辱するような仕打ちに、彼女は我慢が出来なかった。とても赦す事など出来ない。誇りに生きるルイズ・フランソワーズにとってそれを弄ぶようなジョゼフ王の行いは、真っ向から対立するものであった。水と油と言っても良いだろう。決して交わる事の無い価値観の持ち主、それがルイズのジョゼフに対する印象であった。
「わたし、何が出来るのかな」
 聞いてしまったからには、もう目を背ける事は出来ない。自分の出来うる限りの事をして、彼女を助けてあげたいと、ルイズは心から思っていた。
『ねえリインフォース、あなたの蒐集してきた魔法の中には、気がふれてしまった人を治すようなものとか、そういう類のものは無いのかしら?』
 幾千の時を超え存在してきた魔道書であるリインフォース。その中に収められた魔法は系統魔法を凌駕する未知の魔法が星の数程収められている。それらの中にはきっと心を病んでしまったタバサの母を癒す事が出来るものも収められているのではないだろうか? もしそれが可能ならば、あのタバサの顔にも笑顔が戻るかもしれない。ルイズはそう思い至ったのだ。
『私の内にはあまり治癒に関する魔法は収納されていないのですが』
 リインフォースはその特性故、常に邪心あるものに求められ利用される事が多かった。故に蒐集する魔法もどちらかと言うと戦闘に類するものが殆どであったのだ。
『それでも、決して不可能という訳では無いでしょう。試みる価値はあると存じます』
 夜天の魔導書には、使用者と融合するユニゾン・デバイスという機器の特性上、精神感応を初め他者の意識に働きかける機能が他のデバイスよりも豊富に含まれている。それを補助として用い、精神操作の魔法を用いればあるいは、というのがリインフォースの算段であった。
『まずは、タバサ様の母君の状態を知る事が肝要でありましょう。その上で主ルイズと私の力で彼女を癒す。それで宜しいでしょうか?』
『要するにあなたが作戦を立ててわたしが実行、って事ね』
 僅かに見えてきた希望の光が、ルイズにやっと明るい笑みを浮かばせた。
『じゃあまずタバサのお母さんの事を調べないとね。どうすれば良いのかしら?』
『主は此処でお待ち下さるだけで結構です。私が彼女の元へ赴き、状態をスキャン、解析して参ります。暫しの時間、お待ち下さい』
 リインフォースはそう言い残すと瞬く間に転移を行い、主の腕の中から消えた。

 静まり返った部屋の中、一冊の本が宙空に現れる。夢と現の狭間に迷い込んだ女性の下、彼女にそっと寄り添うように彼の本、リインフォースは宙を進む。
 リインフォースがこれから行うのは、彼女が持つ「吸収」の魔法の応用だ。この魔法は対象を夜天の魔導書内に隔離してしまう一種の捕縛魔法であるが、今回は精神感応と複合し対象の生理的情報のみを吸い上げてしまおうと彼女は考えたのだ。要するに本人はそのままに情報だけ吸い上げてコピーしてしまおう、という事だ。これにより、一体どのような毒に侵されたのか、それがどのような影響を与えているのかを吟味し、治療の為の情報とする。
 ばさり、と夜天の書が開かれる。それは彼女が、リインフォースが詠唱に入った事の証であろう。その証拠に、宙に現れたのは美しく光を放つ魔方陣――古代ベルカの魔法をを表す、円の中に三角をあしらったもの――である。魔方陣の輝きはどんどんと強くなって行き、淡い光で室内を満たしていった。その光は部屋の主を優しく包み込み、彼女をさらなる夢の内へと誘って行く。
 リインフォースの内に次々と情報を格納されて行く。人一人を表す情報量ですら、夜天の魔導書の前では図書館に収められる一冊の本程度の情報量でしか無い。程無くして、全ての情報を得る事が出来た。
 すぐさま得られた情報を解析を始める。一体彼女の身に何が起きているのだろうか。それは、あっけない程に簡単に判った。しかし――。

 庭園の花を楽しむ間も無く、リインフォースはルイズの下へと戻ってきた。予想よりも早すぎた為、ルイズとしては驚きを隠せなかった程だ。
『早かったじゃない、リインフォース。あなたは何をやっても凄いわ』
 だが、ルイズの問いかけにリインフォースは沈黙を守ったままだった。その様子に、ルイズは違和感を覚える。リインフォースと意思疎通を図れるようになってから今まで、一度だってこんな様子を見せた事は無かった。例えどんな些細な事であろうと律儀に返事を返してくる生真面目な使い魔、それが彼女であったからだ。
『どうしたのよ、あなたらしくないわ』
『申し訳ありません、主ルイズ』
 その声の調子は明らかに沈んでいた。まるで先程のルイズのようだ。心なしか、表紙の金の十時の輝きも鈍いような気がする。その事に、ルイズは不安を覚えた。
『何が、あったの』
『これから私の見解を申し上げます。どうか冷静にお聞き下さい』
 彼女の声には、ある種の覚悟が聞いて取れた。語る方にも、聞く方にも、双方に苦痛を強いる、これから話す内容はそのようなものだと声色が語っていた。
『単刀直入に申し上げます。治療は……不可能です』
 予想もしなかった言葉に、一瞬耳を疑った。不可能。不可能とは一体如何なる事なのか。
『そんな……あなたですらどうしようも無い程に、凶悪な猛毒だと言うの?』
 リインフォースの力は主であるルイズ自身が良く知っている。系統魔法を、先住魔法すら遥かに超える奇跡の様な技の使い手。万能とも言える、主の自分ですら恐れずにはいられない程の、強力な魔導書。その彼女が出来ないと口にするなんて、まるで悪夢のように彼女には感じられた。
『いいえ、違うのです。そのような事では無いのです』
 答えるリインフォースの声は、悲しみに包まれていた。
『最早、治療するという段階では無いのです。既に脳は萎縮し、嘗ての思い出は微塵も残らず、人としての意識の形を失っている。それが今のあの方の状況なのです』
『解からない、解からないわ。一体どういう事なの』
 焦燥が心を凍らせる。そしてそれがルイズの理解を阻み、混乱を生み出していた。ただ、急かすように自らの使い魔に答えを問いただす、それしか彼女に出来る事は無かった。
『彼女が服用した毒は、その毒性により人としての有り様を破壊する類のものだったのです。今の彼女の状態は、毒が阻害して引き起こされたのではありません。毒が彼女の記憶の破壊を引き起こし、結果として狂気を生み出した。……もう、どうする事も出来ません」
「そんな、だって、あなたは」
 ルイズの口から声が漏れる。思念通話をする事も忘れ搾り出されたそれは震え、掠れ、悲鳴に近いものだったように感じられた。
「あんなにも、凄い力があるのに。それでもどうしうもないと言うの?」
『失ったものは、二度とは戻りません。零れ落ちた水が決して元には戻らぬように』
 悲しみを含みながらも、きっぱりとリインフォースは断言する。
『わたしは、全能の神ではありません。無へと消え去ったものを取り戻す事など……幾ら足掻こうと、決してできはしないのです』
 ルイズの膝が、自然と崩れ落ちる。意思という力がどんどんと何かに吸い取られていくのを彼女は感じていた。吸い取っているものの名は、絶望。絶望が彼女を蝕み、侵す。
「そんな……そんな事……」
 彼女の呟きは風の精霊に運び去られ、誰の耳にも届く事なく消えていった。

 通夜のように口数少ない夕食を終えた後、キュルケが「今日は三人一緒に寝ましょ? ねえ、せっかく皆でお泊りなんだから」と殊更に明るく振る舞い言ってのけたのは、彼女なりの気遣いだったのだろう。三人は、大きな寝台が備え付けられた客室で眠る事になった。この大きさの寝台なら三人一緒に寝られるだろう、という事でここが選ばれたのだ。
 部屋に入ると早々にタバサは眠りに入ってしまった。明日の任務を控えてなのか、それとも窺い知れぬ疲労がその体に蓄積していたからなのか。ベッドに横になった彼女は即座に眠りへと落ちていった。
 キュルケは、灯りの消された部屋の中ソファに腰掛けワインを飲んでいる。美味しくなさそうに、少しづつ少しづつ、無理やり喉へと流し込むように彼女はそれを飲む。一口ごとに、共に何かを飲み下すように。
 ルイズは、ベッドの端に腰掛けてぼんやりと外を眺めている。微動だにせず、視線で虚空を穿とうとするかのようにただ一点を見つめ続けていた。

「母さま」
 唐突に部屋に響く声に、二人ははっと顔を上げる。良く知っているはずの、それでいて初めて聞く少女の声。儚く切なく、祈るように上げられた声は、彼女達の心を打った。
「母さま、それを食べてはだめ、母さま、母さま」
 少女は必死に母を呼ぶ。苦悶の表情を浮かべ、呻くように祈るように、ただひたすらに母を呼び続けた。

 ルイズは立ち上がると、ふらふらと扉へと歩みを進めて行く。
「こんな何処に行くの?」
 そう問いかけるキュルケの声は、普段より少しだけ優しい色を含んでいた。
「少し夜風に当たりたい気分なの」
「……そう」
 それ以上何も言わず、彼女はルイズの後姿を見送った。決して顔を見せようとしない素振りと震えた声。それだけで何かを察するには十分であったからだ。
 ルイズを見送り終わった後、キュルケもソファから立ち上がり、音を立てないように向かったのは寝台であった。彼女はそっと寝台へと身を寄せると、両の腕で小さな少女を包み込んだ。そしてそっと少女の顔を覗き込む。そこに見えたのは、普段の仮面の様な表情では無く、何かに怯えるような少女の泣き顔だった。キュルケは少しだけ腕に力を籠める。自分の友人を襲う悪夢を祓う篝火となり、どうかこの子が苦しみから解放されるようにと、切なる願いを込めて。

 長い廊下を歩き、外へと開けたテラスへと辿り着いた。天空は暗雲が立ち込め、月の光の一片も大地には届いてこなかった。それはまるで、ルイズの胸中をそのまま表しているかのようだった。一片の光も無い世界、それはまるで絶望そのものだ。
 ルイズは、堪りかねたように欄干に手を叩き付ける。双眸からは、止め処なく涙が溢れ、彼女の頬を伝い地を穿っていった。
「ううっ……」
 あれ以上、あの場に居る事は出来なかった。あのような切なげなタバサの言葉を聞くことなんて、出来る訳が無かった。タバサは深く母親を愛している。そして、己の身に代えても母を治療しようとしている。きっとその為に彼女は人生を費やすのだろう。
 だがそれがまったくの徒労だと、ルイズは知ってしまった。
 心が痛い。余りの苦しみに、胸が砕け散ってしまいそうだとルイズは思った。知らなければ良かったと思う。そうすればお互いに希望を持ちながら生きて行けたのだ。例え結果無駄であったとしても、満足して全てを終わらせる事が出来ただろう。しかし彼女は知ってしまった。真実を余す事無く、残酷な現実を知ってしまった。
 タバサにこの事を伝える事は出来ない。それは彼女の希望を奪う事だ。しかし伝えぬまま見守る事もまた出来そうも無かった。

 わたしは一体、どうすれば良い?

頭を垂れ地を見つめ続けるしかなかったルイズの頭上に、不意に光が差した。ほんの僅かに、雲に作られた切れ目が、大地に月光を届けたのだ。か細く頼りないような一筋の光。しかしそれは、確実に大地を照らしていた。
 はっとその光を彼女は捉える。目で、魂で、彼女は光を捉えた。
『私に、力が無いばかりに』
 リインフォースも悔やんでいた。主の願いを叶える事の出来ない自分を責めていたのだ。
『申し訳、ありません』
 しかし、ルイズから帰ってきた言葉は――先程からは考えられない程に力強く、また意思に溢れていた。
『いいえ、謝る事なんて無いわ、リインフォース。謝るのはわたしの方。わたしこそが、謝らなければならないわ』
 彼女の涙は、未だ止まらない。しかしその視線は真っ直ぐに天を捉え、力ある瞳で空を見据えている。
『ごめんなさいリインフォース。わたしはあなたを貶めてしまう所だった』
 リインフォースには、主が何を言っているか理解出来なかった。我が主は一体何を言おうとしているのか?
『あなたから真実を告げられた時、わたしは諦めてしまった。不可能だと聞かされ絶望し、考える事を止めた。その事が、どれだけ罪深い事か。わたしはもう少しであなたに無能者の烙印を押させてしまうところだったのよ』
 その声に最早絶望は無い。溢れる意思が生み出すのは希望だけだった。
『あなたを使うのはわたし。わたしの意志こそが、あなたを支えるものなんだわ。それなのに、わたしはあなたを支える事を放棄してしまった。だからあやまらければならないわ、ごめんなさい』
 そしてルイズは今一度己の使い魔に問う。
『ねえ、本当にタバサのお母様を治すことは不可能なの?』
『はい、それは確実に変わる事の無い事実です』
『なら質問を変えるわ。わたしは、わたしたちは――本当に、なにも二人の為にして上げられる事は無いの?』
 その問いに、リインフォースは言葉を詰まらせる。なんと答えれば良いのか、彼女にも判らなかったのだ。
『例えどんな暗闇の中でも、光差さぬ所は無いわ。どんなにか細く、星の光よりも儚くても、きっと希望は残されている。それが蜘蛛の糸を万の数まで引き裂いた程に細く儚いものだろうと、絶対に掴んで引き寄せてみせる。それがわたし、ルイズ・フランソワーズの生き方だったはず。それを見失っていた』
 そうだった。何時も自分が見つめてきた主は、決して諦める事を知らぬ人であったな、とリインフォースは思い知らされる。決して折れず曲がらず、己の道を刺し貫いてゆく。そんな人であったのだと。
『だからリインフォース、諦めないで。わたしが傍に居るわ』
 その言葉にはっとさせられる。それは嘗て彼女がルイズに伝えた言葉。それが今、今度は自分に向けられていた。
『あなたがどんなに挫けそうでも、わたしがあなたの意思になる。決して屈せず、あなたを導いてみせる。だからあなたはわたしの力になって。わたしの願いを、為すべき事を果たす為の助けになって欲しい』
『主と使い魔は一心同体、でしたね』
 リインフォースの言葉にも、意思が宿る。
『主が屈せずというのなら、我が身が屈する道理など有りません』
 その言葉に、ルイズは小さく肯いた。そして促すように、左手を差し出す。リインフォースはその主の動作に習い、彼女の小さな掌に自らを収め――その身をばさり、と開き、収める。同時にルイズの足元に光り輝く魔方陣が展開された。
『もう一度、タバサ様の母君の精神をスキャンします。今度は、主と共に』
『わたしが一緒に行って、何か役に立つのかしら?』
『ええ』
 リインフォースは断言する。
『私が挫けそうになったら……支えてください』
『解かった。絶対にあなたを支えるわ』
 足元の魔方陣が一層輝きを増し、ベルカの三角印がルイズの体を包み込み――二人はタバサの母の精神へと旅立った。

『ここは?』
 いきなり目の前が真っ白になり、ルイズは焦る。前を見ても後ろを見ても、右も左も上も下までもが真っ白だ。あまりに白過ぎて頭がおかしくなりそうだ。
『ここが、タバサ様の母君の精神です。正確には、その精神の有り様を主が理解し易いように視覚情報として構築したもの、ですが』
 そう言って現れたリインフォースの姿は、何時もの見慣れた本の姿では無い。流麗なる銀髪を靡かせた美しい女性がそこには居た。
『久しぶりね、その姿を見るのも』
『ここなら自由に自分の姿を形作れますので』
 くすり、と彼女は笑みを浮かべて答える。
『さあ進みましょう。このような場所でまごついていても、何も始まりません』

 白い空間を、二人は進んでいく。大地の無いこの世界は、考えるだけで体が自由な方向へと動いてくれる。フライで飛ぶのとも、またリインとユニゾンした時の飛行ともまた違う奇妙な感覚だ、とルイズには感じられた。
『それにしても、白ばかりね』
『彼女の記憶は、何も残されていないのです』
 悲しそうに、リインフォースが告げる。
『愛する人との思い出も、タバサ様とのかけがえの無い日々も……もう彼女の中には存在しない』
『そんな……それは、あまりにも酷すぎる』
 言葉だけでは実感の薄い事柄も、こうして捉え易い形で見せつけられると否が応でも理解させられてしまう。沢山の人達と触れ合い、少しづつ積み上げてきた大切な思い出を全て奪われてしまう。それは生きながらにして死ぬようなものだ。改めて、ルイズはガリア王ジョゼフへの怒りを募らせる。
『あれだけが……彼女に残された唯一のものです』
 リインフォースが指し示す先には、淡い赤の球体のようなものが宙に浮かんでいた。時折明滅し、ふわふわと白の中に浮かぶそれは一際目立つはずなのに、不思議な事にリインフォースが指摘するまでルイズの目にはまったく見える事が無かった。
『子を守ろうとする意思、愛する我が子だけは助けたいという切なる想い。それが一つとなってこの場に残り続けているのです。薬の毒が暴虐を振るい、全ての記憶を壊していく中、それでも破壊する事の出来なかった程強い想い』
 偉大なる魔導書の声に籠められていたのは、感嘆か、それとも哀悼か。
『神ですら侵す事の出来ぬ、母の愛』

『でも、こうやって今の状況を見せ付けられると……本当にどうしようも無いって気がするわ』
 ルイズはがくりと肩を落としながら呟いた。
「こりゃーリインフォースが不可能って言うのも仕方ないわ。思わず途方に暮れちゃう』
『来て早々に諦めそうにならないで下さい、主ルイズ』
 そう宥めるものの、リインフォースとしてもやはり八方塞がりだ。言ってみれば材料無しに物を作れと言われているようなものだ。既に命題の時点で可能性が潰されている。
『どうにかしてこの赤いのを増やしたりとか出来ないのかしら。そうじゃなきゃどっかから持ってくるとか』
 それは言葉を放ったルイズにしても、何気なしに言ってみただけの、とりとめもない言葉だったのだろう。本人も大した事を言ったつもりは無かったようだが――傍らに居たリインフォースにとってはそうでは無かった。
『それです、我が主!』
「うひゃぁ!?』
 いきなり声を張り上げるリインフォースに、ルイズもたまらず驚き声を上げる。
『いきなり何よ、大声出して』
『ですからそれです、主。無いものは無い。しかし何か足がかりとなるものを持ってきて、今あるものを増やす為の支えとすれば良いのです』
 リインの言葉にルイズはうーんと首を捻る。何を言いたいのか良く解からないらしい。
『一言で言うなら、まさに蜘蛛の糸程の希望が現れた、と言う事ですよ』
『成る程、それなら良く解かるわ。んじゃあさっそく一仕事しようじゃないの。わたしは何をすれば良い?』
『主はタバサ様の意識をこの場に経由させる役目をお願いします』
 それは貴方にしか出来ない事です、とリインフォースは付け加える。タバサを想い、その心に触れようとする者だからこそだと。
『私はこの僅かに残された記憶と主が導いたタバサ様の意識を我が身に取り込み、二つの意識のバイパスとなります。そうして我が夢の庭園内にて一時の夢を彼女達に与えましょう』
『夢を見せるって事?』
 夢を見せて、一体何をしようと言うのか。ルイズにはリインフォースの真意はさっぱり理解出来なかった。しかしそれでも問題無い。ルイズはリインフォースを信じている。だから、信じるままにわたしは進むだけだわ、とルイズは心を奮い立たせる。
 ルイズは天に手を掲げる。そこには、まるで初めから存在したかのように浮かぶ金色の杖があった。十時と丸をあしらった、黄金の杖。何を為せば良いのかは、まるで予め知っていたかのように澱みなく理解出来た。リインフォースと一つになっている訳では無いが、この場に居るという事はそれに近い状態になるのだろう。ルイズは杖を掴むと、声高に叫ぶ。
『夜天の光よ、我が手に集え。集いて祝福を運ぶ風となれ!』

 言葉が光となり、再びルイズの意識は彼方へと運ばれる。今度彼女が現れたのはルイズ達が泊まっている客室だ。その部屋の天井近く、俯瞰するような位置に今彼女の意識はある。例えるなら幽霊になって浮かんでいるような感じだ。
 眼下には、苦しそうに呻くタバサと、その苦しみを和らげようとするように自愛の表情で彼女を包み込むキュルケの姿があった。それを、ルイズも優しい笑みで見守る。
 ――キュルケ、あなたがタバサを包み込むなら、わたしはタバサを導くわ。
 姿無き手で、ルイズはタバサに触れた。彼女の胸の奥、そこに何かを感じ引き摺り上げる。それは蒼く輝く光の球であった。これが、タバサの意識なのだろうか?
 ――さあ行きましょうタバサ、あなたのお母様の下に。

 ルイズの意識は再びあの白い空間へと舞い戻る。しかし先程とは違い、手にはしっかりと蒼き光球が握られていた。
『これで良いのかしら、リインフォース』
『申し分ありません』
 リインフォースは満足そうに肯く。
『あとは私にお任せ下さい』
 右手を蒼き光に、左手を赤き光に。それぞれの光を向かえるように、リインフォースは両手を掲げる。光はまるで吸い込まれるようにリインフォースの手に集い、そして溶けて行った。
『我が内にて、どうか良い夢を』


 青髪の少女が気がつくと、そこは見慣れた庭園の中だった。彼女た生まれ育った家。そして今は牢獄と成り果てた家。
 どうしてこのような所に居るのだろう? 確か自分はベッドで眠りについていたはず。まずは肌身離さず持ち歩いている杖を探すが、見当たらない。他に人の姿は? やはり見当たらない。
 とりあえず、屋敷の中へ戻る事にした。てくてくと一人、花々に囲まれながら歩く。
 どうも雰囲気がおかしい、とタバサは感じた。何かが違う。妙な違和感を感じるのだ。しかしそれは不快なものでは無い。むしろ懐かしい。

 庭園を出た時、彼女は驚きに目を見開いた。そこに有り得ないものを見たからだ。一階に備えられたカフェテラス、そこに母が座っている。何時も通りに人形を抱え、一人そこに座っている。
 タバサは駆け出した。一体何故母がそこに居るのか。ペルスランが連れ出した? 有り得ない、あの忠実な老僕がこのような事をするはずがない。自分を外に連れ出した何者かが、母まで連れ出したのだろうか。
 形振り構わずに彼女は駆ける。一秒でも早く母の下へと辿り着こうと必死に駆ける。普段被っている仮面もかなぐり捨て、全力で駆けた。
 段々と近付いてくる母の姿。その姿が鮮明になってくるにつれ、タバサの驚きもまた大きくなっていった。母の姿が、違う。あの骨と皮だけにやせ衰えた姿では無い。記憶のままの、優しく美しい姿で、そこに座っている。
 タバサの母も、やっと駆けてくる彼女の姿に気がついたようだった。はっと顔をあげ、目を見開き――はらり、と涙を流した。
「シャルロット……」
 声が、漏れた。それは紛れも無く自分を呼ぶ声。タバサもそれに、夢中で答えた。
「母さま……母さま!」
 彼女は全力で母の胸に飛び込んだ。そんな娘を、母も全力で抱きしめる。
「おお、シャルロット。こんなに立派になって……」
「母さま、良かった、本当に良かった」
 それは、長く為される事の無かった母子の抱擁であった。
 永く永く、時を忘れるかのように、その姿は重なり続けるのだった。


 リインフォースが白き空に手をかざす。そうすると、それに呼応するように光が、色とりどりの光がそこに次々と宿っていく。
『これは……一体』
 ルイズも驚きの声を上げる。白しかなかった世界に、次々と色が生まれていく。
『これは、タバサ様の記憶です』
 そうリインフォースが答える間も、次々と光は生まれ、宿っていった。
『母と子の思い出、共有された時間をここに宿したのです。厳密には母君の記憶とは言えないでしょうが……それでも、きっと助けになるでしょう』
 やがて、辺りは一面の光で満たされ、まるで万華鏡の中のような姿を現した。
『現実へと向き合い、新たな思い出を作る為の』
『新しい……思い出?』
『はい。無くなったものを取り戻す事は出来ません。しかし、それを新たなもので埋める事は不可能ではないはずです。母君は今まで過去の記憶しか見つめる事はありませんでした。そこでまず夢の内にて今現在のタバサ様を認識させ、また補助としてタバサ様との思い出をここに残す事により、彼女が現実を見つめる為の足がかりを作ったのです』
『それはタバサのお母様と元通りの親子になれるって事?」
 ルイズの問いに、いいえ、とリインフォースは答える。
『ですが、また親子として笑い逢える日が来るようになる、そう私は信じます。いつかきっと、彼女がタバサ様に笑いかける日が来ると』
『そうね、わたしも信じるわ』
 ルイズとリインフォースが、眩しそうに空を見上げる。あらゆる色が存在する、奇妙な星空。しかしそれは本物の星空の美しさに劣るものでは無い。何故ならそれは、母と子の思い出の輝きなのだから。
 夜天の主従はそれを、何時までも静かに見つめ続けた。


 何時の間にか苦悶の呻きが聞こえなくなった事にキュルケは気がついた。やっと、悪夢から開放されたのだろうか? そう思って覗き込んだタバサの表情に、彼女も釣られるように微笑みを浮かべた。

 タバサが笑っていた。涙を流しながら、ほんの少しだけ。

「良い夢を、シャルロット」
 キュルケはそっとタバサの髪を撫でる。
「せめて夢の中位、幸せに……ね」
 せめて明日の朝を迎えるまでは、と願いながら、キュルケもまた眠りに落ちて行くのだった。


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コメント
前回から2日、本当にに早いですな

今回はタバサがメインでしたね。母親に関して少し希望が出来たのが幸い。
ルイズとリインもとてもらしくて、正に「不屈」の精神を持っているようです

今年もあと2日。年内30話に向けて頑張ってください
by: 青鏡 * 2007/12/29 22:49 * URL [ 編集] | page top↑

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