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夜天の使い魔28話

「気晴らしにちょいとバカンスと洒落込まない?」
 キュルケにそう切り出されたのは灼熱の拷問にも大分馴れてきた頃合、ちょうど夏休みも始まって一週間も過ぎた辺りだろうか。まだ寝るには早く、椅子にもたれかかりながら熱気に身を任せていた所にいきなり隣人がやってきて切り出した台詞がこれである。
 唐突な話の展開にルイズは「ふぁ?」と呆けた顔を浮かべるしかなかった。
「タバサがね、実家に帰るらしいのよ。だからあたし達も一緒についていかないか、って話。そろそろここに閉じこもってるのも飽きてきたでしょ? 少し気分転換でもしなきゃ」
 ね?と悪戯っぽく笑いながら同意を促す彼女自身が、おそらく一番気晴らしをしたいに違いない。微熱の二つ名を持つ彼女はまさに揺らめく炎の如く移り気で飽きっぽい性格なのだ。そんな彼女がこんな石造りの塔にずっと閉じこもっているなど無理に決まっている。なにせ授業のある平時ですら退屈を持て余しているのだから。
「まあ、ここに居てもする事なんて無いしねえ」
 出来る事と言えばひたすらに暑さへの耐久力を養う事だけだ。
「タバサが迷惑じゃない、って言うなら是非、と言いたいんだけれど」
「それなら大ジョブよ、もうあたしとあんたが付いて行くって行ったら良いって言ってたもの」
「わたしは事後承諾ですか、そうですか」
「だって、付いてくるって言うと思ったし。絶対に」
 しれっとしたキュルケの物言いに、むうと唇を尖らせ抗議するルイズ。確かに一人で残されても何もする事が無い以上そうなのだが、何か釈然としない。
「それで、何時出発するの? それまでに準備しておかなくちゃ」
 アルビオンへの旅路とは違い、今度は馬車に乗ってゆったりと道行を楽しむ事が出来るような旅になるだろう。着替えやなんかもふんだんに持っていける。シエスタにも荷造りを手伝って貰おうかな?と楽しい想像を膨らませていたルイズだったが、次にキュルケが発した言葉に凍りついた。
「明日の朝、朝食も食べずに出発よ。だから今の内に準備しておいてね」
「……今なんと仰いましたミス・ツェルプストー? 冗談も大概にして欲しいんだけど」
「だから明日の朝。寝起きすぐ。お解かりかしら?」
 解かりすぎて眩暈がしてくる。幾らなんでも急過ぎるだろう。そんなルイズの不満は表情に出ていたのだろう、キュルケも心外そうに反論する。
「あたしだって話を聞いたのはついさっきよ。あの子の行動がいきなりなのは今に始まった事じゃないから、まあ仕方ないと思って諦めて貰うしか無いわ」
 あたしも荷物纏めなきゃならないから戻るわね、と部屋を出て行くキュルケの後姿を見ながら、タバサの事を考える。青髪の、ちいさい――小柄なルイズよりもさらに一回りも小柄な――無口な少女。彼女に出会ったのは進級時のクラス変えの時、即ち使い魔召喚の儀式の時だ。運命が流転し始めたその時に会い見えたのは、彼女とも何かしら運命的な繋がりがあるのかもしれない、と空想のような考えを巡らせた。ルイズとタバサ、どちらも人を避けるようなきらいのある少女達だ、本来なら一度も口を聞くことなく学院での学生生活を終えていただろう。それが不思議な縁で結ばれ、共に旅をし苦楽を分け合う事となった。なんと不思議な事だろう。
 しかしそんな特別な時間を共有してすら、彼女の事をまったく知らないとルイズは理解していた。明日からの旅は、そんな未知なる少女のヴェールを一枚剥がす事となるのだろうか。その事に、ルイズはほんの少しだけ胸を高鳴らせた。


 がたんがたん、と心地良い振動を伝える車輪の旋律でルイズは目を醒ました。照りつける光が、眩しい。
「ん……どれ位寝てたのかしら」
「上のお日様見れば解かるでしょ、昼真っ盛りよ」
「また随分寝ちゃったみたいね」
 あちゃあ、とルイズはばつの悪そうな表情を浮かべた。
「まったくよ。良くまあ毎日毎日そんなに寝れるわね。逆に疲れそうよ、そんなに寝てばっかりいちゃ」
 キュルケの方も呆れ顔である。
 今ルイズが居るのはタバサの故郷へと向かう馬車の中であった。貴族向けにあつらえられた立派な作りのもので、長旅にも耐え得る快適さを三人に提供していた。彼女達はこの馬車の中で既に二日も――流石に夜間は途中の村で休息を取っているが――過ごしている。そろそろ、トリステインの国境に着こうかという頃である。ちなみに三人の使い魔はお空で仲良く三人旅、である。シルフィードの背にフレイムが乗り、その上にリインフォースがちょこんと鎮座していた。シルフィードは「使い魔三段重ねなのー」と何が嬉しいのか判らないがとても喜んでいた。韻竜の趣味は謎だ

 ――そろそろ、関所ね。
 ちらり、とルイズはタバサの顔を盗み見る。タバサは何時もと変わらず本に目を落としているようであったが、その頁を捲る手は先程からまったく動いている様子は無い。それが如何なる胸中を表すものか、ルイズに知る由は無かった。
 最初から意表を突かれたわね、とルイズは述懐した。まだ旅の始まりに過ぎない時点で、既にタバサに関する驚きの事実が明らかになっていた。

 やがて三人の前に現れたのは、巨大な石の門の姿であった。一面緑が広がるのどかな風景の中、まるで巨人が大地を睥睨するかのように立つそれは、場に溶け込まぬ違和感を発し佇んでいる。その足元で共に地を守るトリステインの衛士に手形を見せ、一行は石門を潜った。この一つの建造物を境に、彼女達はトリステインに別れを告げる。そして新たに迎え入れられる土地の名は、ガリア。北はトリステインの南端より始まり南はロマリアに接し、ニシは広大な海岸線製に囲まれ、東は遥かなる東方への関門たるサハラに接するまでを支配する、ハルケギニア髄一の強国である。この国こそが、タバサの故郷となる地であった。
 ――まさか、タバサがガリアの貴族だったなんて。
 その驚きはルイズとキュルケ共通のものであった。ゲルマニア出身のキュルケはトリステイン魔法学院に通うのだから当然トリステインの貴族だと――尤も、名前があからさまに「訳有り」だと示しているので、何らかの事情を抱えているとは――思っていたが、流石に自分のように異国からの留学生だとは思いもしなかった。そこいらの公国のように魔法学院を国内に持たぬような小国ならともかく、ガリアという強大な国家の未来を担う貴族の子女が他国の魔法学院に通うなどよっぽどの事情がなくてはありえない話だ。彼女が見誤るのも仕方が無いだろう。
 ルイズはルイズで、タバサは多分どこぞの貴族の隠し子かなんかじゃないかしら?と思っていた。要するに、表沙汰には出来ない子、と言う奴だ。きっと苦労して育ってきたからあんな風に笑わなくなっちゃったんだわ、と妄想逞しく想像を巡らせていたりした。やはり、まさかガリア貴族だとは想像の埒の外であったようだ。しかしそれでもきちんとした教育を受けていた由緒ある家柄に縁のある者だ、というのは察せられていた。無愛想であるが、行動の端々に洗練された節が見られ、それらが意識すること無く自然と行われているからだ。歩き方や座り方、何気無く礼をする仕草やテーブルマナー――大食いであるという驚きに隠されているが、その食べ過ぎる、という一点を除いて彼女はテーブルマナーを損なった事は無いのだ、恐るべき事に――に至るあらゆる日常的な動作にそれは現れていた。それは、幼い頃よりきちんとした教育を受けてこなければ身につかない品格と言うべきものである。ルイズ自身そういった礼法は厳しい性格の母よりみっちりと仕込まれていたのでちょっと五月蝿いのだ。普段の行動からはまったくそうは見えないが。
 タバサという少女に対する興味は尽きない。聞きたい事は沢山あった。しかし、彼女達は口を開かない。それは、魔法学院を出た時から変わらぬ、小さな少女の頑なな雰囲気に因るものだろうか。それはどう見ても久しぶりの帰郷を喜ぶという様子では無い。むしろ戦地に赴く兵のそれである。心を平らに、意思を砥ぎ上げ、自らを一つの刃として作り上げるかのような、祈りにも似た行動。彼女がこの二日間行っていたのはそれである。そこには普段より一層人を寄せ付けぬ何かがあった。故に、二人は彼女に立ち入らない。聞かぬとも、答えはきっとこの先にある。広大なガリアの大地の中、彼女の目指す故郷の下に。

 国境より真っ直ぐに伸びる街道を進んでいくと、やがて緩やかな丘に差し掛かった。丘の下にはトリステインとガリアに囲まれた美しい湖、ラグドリアン湖が陽の光を受けその身を輝きで飾っていた。ハルケギニア随一の大きさと言われる通り、眼下には地平に続こうかと言う位の水で満たされており、少女達の好奇心は大いに満たされた。
「あら?」
 湖を楽しげに見つめていたキュルケが驚きの声を上げる。
「なんか縮んでない? あの湖」
「どういう事よ」
 良く見てみなさいよ、とキュルケが指し示したのは湖の辺であった。ルイズが目を凝らしてみると、特に違和感は無いように思えた――が、暫く観察してみると縮んでいた、という言葉の意味が理解出来た。
「水位が、下がってる?」
 湖の辺は何れも岩肌が剥き出しになっており、それは白い一本の輪を形成し湖を取り囲んでいるように見えた。輪の外には緑が生い茂る所から察するに、これは最近水位が下がり形成されたものではないかと推察する事が出来た。
「暑さで干上がっちゃとか?」
 今年は本当に暑いもんねえ、と言うキュルケに、いやいや、とルイズは頭を振って否定する。
「ラグドリアン湖には古来より水の精霊が住まうと言われているわ。曰く、始祖が降臨するよりも前より姿形を変える事無く存在し、悠久の中変わる事の無い姿よりまた『誓約の湖』と呼ばれるわ。この湖の姿のように、誓約も違えられる事が無いように、って。だからこんな風に干上がったりする事あるはず無いのよ」
 ラグドリアン湖の伝説は、年頃のトリステインの女子ならば知らぬ者は皆無と言える位有名なものだ。愛する人と誓約を交し合えば、その愛は永遠となる――そう信じられているからだ。この広大な湖で愛を語らう事はトリステイン女子の夢の一つであり、実に純愛を尊ぶトリステイン子女らしい逸話である。
「ふうん、でも干上がってるわよ」
「干上がってるわね」
「儚いわね、伝説って」
「……まあ六千年以上続いたんだから、人間からすれば永遠と変わらないわよ」
 醒めた様子でそう切り返すものの、心の中では乙女の夢が崩れた事の衝撃で動揺しているルイズだった。わたしだっていつかここで素敵な語らいをしてみたかったのに! この水の精霊の根性無し! せめてあと百年位頑張りなさいよ! もし精霊に逢う事があったら、絶対文句を言ってやる、とルイズは固く誓った。

やがて湖の光景とも別れを告げ、馬車は湖に背を向けるように小高い山側へと進路を決めた。生い茂る森の中、馬の蹄と車輪が奏でる音だけが響き渡った。所々に農園が点在し、農民達が忙しく働いているのが見て取れる。忙しくも幸せそうな様子は、この領地が豊かである事の証明であった。きっと名のある貴族の納める領地に違いない、とルイズは推察した。
「あなたのご実家は、この辺りなのかしら?」
 小道に入った事により、いよいよなのだろう、と予測したキュルケがタバサに問いかけた。
「もう少し」
 それは、青髪の少女がこの馬車に乗り込んでから初めて発した言葉であった。ただ一言そう告げると、再び彼女は沈黙へと身を落とす。

 暫く進む内、広場で休憩する農民達の姿が目に入った。脇には、収穫されたばかりであろう赤々とした大きな林檎が幾つもの籠に山盛りに積まれているのが見て取れた。その光景にキュルケが「ちょっと止めて、止めてー」と御者に声をかけ、馬車は急停止した。
「ちょっとおいしそうじゃない? 貰って来るわ」
 馬車を降りると、足取りも軽やかにキュルケは農民達へと近付いて行く。
「美味しそうな林檎ね。三つ程売って頂戴」
 そう言って手近の男に銅貨を手渡したのだが、手渡された男は困ったような顔をして答えた。
「こんなに戴いたら、籠一杯お渡しする事になっちまいます」
「貰うのは三つで良いわ。その代わり一つ教えてくれないかしら? ここはなんて土地なの? とても綺麗で良い所だわ」
 森も農地も良く手入れが行き届いている。自然でありながら、人の手によって違和感無く整えられた風景は実に美しかった。キュルケがちょっと好奇心を働かせるのも自然の成り行きと言える。
「ここいらは、ラグドリアンの直轄領でさ」
 意外な言葉に、キュルケは目を丸める。
「つまりわしらも陛下のご家来さまって事でさあ」
 農民が答える様子は、実に誇らしげだった。王に直接仕える、という形式は彼等に少なくない誇りを与えているのだろう。自慢げに笑みを浮かべる農民達の様子がそれを物語っていた。
 キュルケは礼を損なわぬようそこそこに礼を言い、馬車へと戻ってきた。しかしその頭の中は先程の言葉が渦を巻いている。直轄領。つまり、ガリアの王が直接納め管理する土地と言う事だ。そのような土地に住まうという事は、つまり――。
 しゃくり、とキュルケは林檎を一口咀嚼した。甘酸っぱさと瑞々しい潤いが口いっぱいに広がっていく。先程の思考もすぐさまこの快楽に取って代わられ、「あら、おいしいわよこの林檎!」と無邪気に笑う。
「二人とも、食べてご覧なさいよ、これは絶品よ」
 そう言ってルイズとタバサに――半ば無理矢理押し付けるように――林檎を手渡す。赤々と見事に実った林檎は、確かに美味しそうだ。ルイズもその魅力には抗えず、一口齧り付く。
「本当、美味しいわ」
 しゃくしゃくと心地良い咀嚼感、そして芯からとろけだす甘い蜜と引き締まった酸味を提供する果肉が絶妙に合わさり、なんとも言えない美味しさを醸し出していた。まさに絶品。はしたないとは思いながらも、次々齧り付くのを止められない美味しさだ。これは一個だけでは物足りないかも?とルイズにしては珍しく食い意地が顔をもたげてくる程に美味であった。
 キュルケもそれは同様のようで、ちょっと失敗したかな、と苦笑を浮かべていたが、だがただ一人、タバサだけは違う様子を見せていた。
 タバサは林檎を抱えたまま、動かない。掌に赤い実を抱え、口をつけようともしなかった。それは大食漢のという印象のある彼女にとっては余りにも違和感のある光景に見えた。
「どうしたの、タバサ。食べないの?」
 少女は小さく肯くと、林檎を差し出す。代わりに食べろ、と言いたいようだ。
「本当に良いの? 遠慮なく食べちゃうわよ?」
 念を押すように、キュルケは問いかける。それにも尚、彼女は首を縦に振った。どうやら本当にこれを食す意思は無いらしい。
 小さな手より林檎を受け取るキュルケだったが、戸惑いは隠せない。きっとタバサも喜んで食べてくれる、と思って買ってきたのに。本を読むのと同じ位、食べる事も好きな彼女。それであるのに食べるをの拒むというのは、尋常な事では無い。何故?という言葉が彼女の頭を支配した。
 一口林檎を齧る。先程と変わらない林檎のはずなのに、何処か味気ないものになってしまったように、キュルケには感じられた。


 農民達から林檎を受け取ってから程なく、姿を現したのは大邸宅と言っても差し支えの無い立派な屋敷だった。旧いがしっかりとした作りのそれは、紛れも無く名家の所有するものであると一目で見て取れた。だが、真に目を引いたのはそれでは無い。屋敷よりもさらに旧い石と鉄で形作られた門に刻み込まれた紋章、それに意識が縛り付けられた。二本の杖が交わるそれは、始祖に与えられし王権の証。
 ――即ち、ガリア王家の紋。
 しかしその紋章は、上から大きな十字で傷を付けられており、今やその権利を剥奪された事を示していた。

 門の内は、一目で判る程に寂れた雰囲気を纏わせていた。広い庭はきちんと手入れされ、花々が美しく咲いている。屋敷も作りこそ旧いものの丁寧に修繕され管理されている。しかし、拭い去れぬ侘しさを感じるのは何故なのか。まるで人が住んでは居ないような、そんな印象を与える屋敷であった。
 馬車が玄関の馬周りに辿り着くと、一人の老僕が一行を出迎えた。豊かな白髪と白髭を蓄え、眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の老紳士は恭しく馬車の扉を開けると自らの主を出迎えた。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
 出迎えは、彼一人のようであった。他の誰一人としてこの場に現れる者は居ない。ルイズは不思議に思った。この屋敷の規模からして、多くの使用人が居るはずだ。それがまったく顔を見せないというのは、なんとも解せない。
 釈然としないまま、ルイズとキュルケはタバサの後に続く。玄関を抜けた後広いエントランスを迎えたが、やはり誰一人として彼女達を出迎える者の姿は無い。老僕とタバサも何も気にした様子も無くそのまま足を進めて行く様を見て、いよいよもって奇妙だ、という思いが心の中を占めていった。
 ルイズとキュルケが案内されたのは客間として使用されているであろう一室であった。部屋に設えられた質素ながらも瀟洒な雰囲気を持つ調度品の数々はこの屋敷の主の趣味の良さを感じさせる。贅を尽す事は好まないが、さりとて使う道具に拘りを見せないという訳では無い。そんな感じだ。
 ルイズとキュルケはちょこんとソファに腰掛ける。ふわふわとした、上質のものだ。
「まずは、あなたのお父上にご挨拶がしたいわ」
 そのキュルケの言葉に、タバサはゆっくりと首を横に振る。今はご在宅では無いのかしら?とキュルケはとりあえず納得する事にした。
 タバサは二人が落ち着いた事を確認すると、「ここで待っていて」と一言言い残すと部屋から出て行ってしまった。
 残された二人は顔を見合わせる。
「なんか、色々と驚きっぱなしね」
 ルイズがぽつり、と言葉を零す。
「そうね。まさかタバサがガリアの王族だったなんて」
 返すキュルケの言葉もただぽつり、と零された。
「それに、この屋敷の様子は普通じゃないわ。まるで……誰も人が住んでいないみたい」
 外で感じた侘しさや違和感。その原因は邸内に通されて程なく理解出来た。この屋敷は、まったく人の気配がしないのだ。きちんと手入れされていたとしても、人が暮らす以上そこにはなんからの生活の痕跡というものが残る。だがこの家にはそれがまったく無い。この部屋だってそうだ。きちんと掃除され、美しく整っているが、逆にあまりにも整いすぎている。まるで、長い間誰も訪れた事がないかのように、整然とし過ぎていた。この感覚はおそらく正しい、とルイズは思う。この部屋は先程自分達が訪れるまで使われる事無くただこの場所で客人を迎える時を待っていたのだ、永い永い年月を。
「……実はね、あたしもあんまり知らないんだ、タバサの事」
 そう語るキュルケの表情には、自嘲の色が浮かんでいるようにルイズには見えた。
「このクラス、ううん、この学年どころかこの学院の中で多分あたしが一番あの子と付き合いが深いと思う。でもね、それでもあの子の個人的な事は殆ど知らない。そういった事は話したがらない子だから」
 お互い深く詮索し合うのって嫌だしね、とキュルケは微笑んだ。
「でもね、今はちょっと知りたいって思うかな。この二日間、あんただって見てたでしょ? あの子、きっと無理してる」
 ルイズは思い出す。馬車の中での、只事では無いようなタバサの様子を。そしてこの家の雰囲気。タバサが何らかの重荷を抱えているのは間違いないだろう。
「だから、あたしはそれを知りたい。知って……少しでもあの子の負担を和らげてあげたい。ねえルイズ、これってあたしの我侭なのかしら?」
「そうね、きっと我侭よ。他人の問題におせっかいで首を突っ込むなんて」
 でもね、とルイズは頭を振りながら答える。
「わたしも同じ我侭を起してるから、あんたの事は責められないわ」
「あたし達って最悪ね、我侭過ぎる」
 二人の少女は、微笑むように苦笑した。

 タバサがこの旧びた屋敷の一番奥にある部屋を訪れる時、躊躇いを覚えなかった事は無い。幾ら心を凍りつかせようと、覚悟を決めたと嘯こうと、その光景は彼女の心を容赦なく切り刻むからだ。ゆっくりと深呼吸して、ざわめいた心を静める。彼女は意を決すると、扉を叩いた。
 返事は、無い。
 それは解かりきっていた事だった。この部屋の主が返事を返さなくなって早五年。タバサが齢十の時より既にこうであった。
 タバサは丁寧に扉を押し開ける。ぎぎぃ、と蝶番の軋む音と共に、部屋の光景が目に飛び込んできた。大邸宅に相応しく、広く大きな部屋。しかしながら調度品など何も無く、設えられているのは寝台が一つとその脇にある小さな丸テーブルのみ。他に目に付くものは開け放たれた窓より吹き込む風でそよぐ白いレースのカーテン位のものだった。余りにも、殺風景な部屋だった。
 寝台には一人の女性が横たわっていた。顔も体も痩せこけ、体表には骨が浮き出ており、伸ばし放題になった青い髪の隙間からはぎらぎら怪しくと輝く瞳だけが僅かに意思を主張していた。その姿はまるで、御伽噺に出てくる悪い老婆のよう。
 しかしタバサは知っている。ぎょろりとした目はかつては優しい眼差しで自分を包み込み、やせこけた顔は柔和な笑みを湛え、骨ばかりになったごつごつとした手はそっと自分を抱きしめてくれた事を。彼女が、誰よりも優しく美しい女性であった事を。決して、忘れたりはしない。
 数歩部屋に足を踏み入れた所で、寝台の女性はやっとタバサの存在に気付いた。その途端、虚ろだった表情はみるみる色を取り戻し、二つの感情を浮かび上がらせる。一つは恐怖。もう一つは怒り。この二つがない交ぜとなり、皮ばかりとなった顔面を彩った。
「おお……下がりなさい、下がりなさい……この子には、指一本触れさせません」
 枯れ枝のようになった腕で必死に抱きしめるのは、小さな少女の形を模した人形だ。ところどころほころびが目立つようになったそれを力いっぱい抱きしめ、タバサから守るように覆い隠した。
 その光景を目にして尚、タバサは彼女に近付いてゆく。それが怯えを助長させると理解していても、彼女の心を苦しませると知っていても。タバサは寝台の横に辿り着くと跪き、頭を垂れる。
「ただいま帰りました。母さま」
 目を閉じ放たれたその言葉には、どれだけの感情が込められていたのだろう。余りにも濃密に圧縮された感情は既に判別不能なまでに固められ、故に――殊更に平坦なものに聞こえた。まるで氷が声となったかのように、それは部屋に響き渡った。
 幾許かの時間、彼女は目を閉じる。まるで始祖に祈り瞑想する僧の如く。
 ゆっくりと目を開き、頭を上げる。目に映るのは、怯え、怒り、必死なまでに「自分」を守ろうとする母の姿。この姿を間近で見るのが堪らなく辛かった。だが必死に耐える。震えるままに拳を握り、その姿を余すことなくその目に焼き付けていった。忘れまい、この姿。そして湧き上がる怒りも――美しかった母をこのような姿にした事への憤怒――、憎しみも――自分から全ての幸せを奪い、のうのうと生き続ける男への憎悪――、悲しみも――夢の中ですら自分を守ろうとし、必死に抗おうとする姿への悲哀――、何もかも忘れまい。これら全てを糧として、彼女は生きているのだから。
「然るべき報いを、然るべき者に。貴方が娘にお与えになった人形がそれを為し果たす時まで、どうか心安らかに」
 それは、変わらぬ誓いの言葉。母がこのように変わり果てた時より己の心に刻んだ、決して違えられる事の無い唯一の誓い。それは彼女にとって命に代えても成し遂げられなければならないものだった。
 そんなタバサの文言も、目の前の女性には届かない。彼女はただ叫び続ける。有りもしない夢の狭間で、永遠の悪夢に捉えられ、虚空に向かって叫ぶのだ。
「この子が王位を狙う等と……誰が申したのでありましょう。渡しません、お前達のような薄汚い王宮の雀達に、可愛いシャルロットを渡したりするものですか!」

 がちゃり、と開け放たれたドアから現れたのは先程の老僕、ペルスランであった。手に持たれた銀のトレイにはカップとケーキが二つづつ載せられている。ペルスランはそれらを丁寧にルイズとキュルケの前に並べていった。紅茶の香りが食欲をくすぐったが、二人はそれに手をつけない。その前にどうしても聞かなければならない事があったからだ。ルイズはキュルケに視線で促す。タバサの事なら、付き合いの長い彼女が問いかけるのが筋だと思ったからだ。キュルケもルイズの考えを察し、老僕に問いかけた。
「このお屋敷は由緒正しくて、とても大きいみたいだけど、あなた以外に人は居ないみたいね」
 老僕は恭しく一礼すると、語りだす。
「申し遅れました、私オルレアン家の執事を勤めておりまするペルスランと申します。畏れながら、お二方はシャルロットお嬢様のがご友人でございますか?」
 ルイズとキュルケは無言で肯く。ルイズは「果たして自分とタバサは友達なのか?」と僅かに逡巡したが、共に苦楽を共有した仲間である事に変わりは無いと思い、肯く事にした。
 それよりも、オルレアン、という名前にひっかかりを覚えた。その家名を、ルイズは知っていたからだ。
「オルレアン家といえば、ガリアの王弟家で、確か主であるシャルル・オルレアンが謀殺された後におとり潰しになったはず……まさか、タバサは」
 ルイズの驚きの声に、ペルスランは苦々しく肯き、肯定の意を伝える。
「お見受けした所、外国の方々かと存じ上げます。お許しいただけるならば、お名前をお伺いしても宜しいでしょうか?」
「ゲルマニアのフォン・ツェルプストーよ」
「わたしはトリステインのラ・ヴァリエール」
 二人の名を、ツェルプストー様と、ヴァリエール様、とペルスランは小さく反芻した。
「ねえ教えて頂戴、ペルスラン。このだれも居ない寂しい家の事、何故タバサという偽名でトリステインの魔法学校へ入学してきたのかという事、あなたが話して差し支えないと思う事を、あたし達に教えて欲しい」
「お嬢様はタバサ、と、そう名乗ってらっしゃるのですか?」
 その名を聞いて、老僕は切なげに溜息を漏らす。弱弱しく、声を震わせた様子は、それが彼の心の琴線に触れた為であるようだった。
「そうよ、誰が聞いても解かるような偽名でしょ? 思い上がりかもしれないけど……少しでも、あの子の力になってあげたい、そう思うから。お願い、あの子の話を聞かせて」
 キュルケの真摯な様子に、ペルスランも心打たれたようだった。「わかりました」と肯くと、姿勢を正し二人に向き合い、語りだした。
「お嬢様がご友人を連れてくるなど、絶えて無い事。そのようにお嬢様が心許すお二方であるなら、何より親身に心配してくださる貴方がたであるのなら、構いますまい。お話しましょう、お嬢様の、このオルレアン家の物語を」
 深々と礼をした老僕は朗々と語りだす。それは、シャルロットという一人の少女の身に降りかかった、悲しみの物語であった。


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コメント
感想
タバサの話ですね。湖が干上がっている、という原作との相違点がどうなっていくのが楽しみです。
しかし書くの早いですね……羨ましいです。年内30話目指して頑張って下さい。
by: にゃんが~ * 2007/12/27 22:50 * URL [ 編集] | page top↑
更新早いですね。嬉しいですけど。

今回からはタバサの話のようですね。原作との微妙な相違点が気になるところです。

年内30話達成、頑張ってください。私も頑張って感想書きます
by: 青鏡 * 2007/12/27 23:31 * URL [ 編集] | page top↑
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by: * 2007/12/29 21:11 * [ 編集] | page top↑
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by: * 2008/01/19 16:21 * [ 編集] | page top↑

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